オリックス・平野佳 日米通算250S 史上4人目の金字塔で名球会の扉開いた
「オリックス・バファローズ3-0北海道日本ハムファイターズ」(2日、京セラドーム大阪)
オリックスの平野佳寿投手(39)が日本ハム最終戦の九回に登板し、1回を無失点に抑えて史上4人目の日米通算250セーブを挙げた。プロ18年目の右腕が、岩瀬仁紀、佐々木主浩、高津臣吾という名だたるストッパーに並び、名球会の扉を開いた。
試合を締める最後のアウトを取ると、天高く両手を掲げた。平野佳が抑えとしての仕事を果たし、金字塔を達成。人生初のウオーターシャワーを浴び、輪の中心でナイン全員とグータッチを交わした。「僕の大事なグラブをアイツらがぬらしに来たんで、ちょっと怒ってますけど」。冗談を言いながら、優しい笑みがこぼれた。
3-0の九回。名前がコールされ、いつも通り緊張しながらマウンドに上がった。先頭こそ出したが、田宮は二ゴロ。代打の加藤豪には1ボールから4球連続のフォークで空振り三振に斬った。最後は一邪飛で試合終了。節目の記録を待望の本拠地で決め、大歓声が起こる。日米通算250セーブで名球会入りの条件をクリアした。
昨オフ、この数字は通過点と言い切った。「それぐらい僕がやらないとチームは上がっていかない」。人一倍の責任感。だからこそ若手も大きな背中を目指し、ブルペンはより強固になっていった。
ここ数年は故障や体調不良にも苦しんだ。でも、まだやれる。「もう一度、50、60試合投げたい」。先発から中継ぎに転向したからこそ、重きを置くのはセーブ数よりも登板数。「岩瀬さんは1000試合超えてますもんね」。来年で40歳。体が動く限り、高みを目指し続けている。
NPB復帰後の3連覇。次は2年連続の日本一が待っている。能力のある若手はいる。球速も落ちてきた。それでも、クローザーに君臨する。「まだ引退するつもりはないので、若い子たちに負けないように頑張っていきたい」。オリックスの最後の砦(とりで)として、平野佳は投げ続ける。
◆平野 佳寿(ひらの・よしひさ)1984年3月8日生まれ、39歳。186センチ、88キロ。京都府出身。右投げ右打ち。投手。鳥羽高から京産大を経て、05年度大学生・社会人ドラフト希望枠でオリックス入団。17年オフに海外FAでダイヤモンドバックスへ移籍。20年はマリナーズでプレー。21年にオリックス復帰。17年WBC日本代表。
◆史上4人目の日米通算250S 平野佳が高津臣吾、佐々木主浩、岩瀬仁紀に続いて史上4人目の日米通算250セーブ。「250セーブ以上投手」の名球会入会は2003年12月に認められ、この時点で佐々木と高津は既に250セーブに達していた。岩瀬の250セーブ到達日は10年6月16日・日本ハム戦(ナゴヤドーム)。