大谷の超破格契約に佐藤義則氏が現役時代の年俸を述懐「1000万円が一流選手の証しだった」

 米メジャーで大谷翔平投手(29)がドジャースに10年総額7億ドル(約1015億円)で移籍した。プロスポーツ史上最高額での契約に、デイリースポーツ評論家の佐藤義則氏(69)は年俸が簡単に上がらなかった自身の現役時代を振り返りつつ、「今は頑張れば頑張るほどお金がもらえる。夢のある時代になった」と感慨深げに語った。

  ◇  ◇

 まったく想像がつかない金額だね、1015億円なんて。どこかの国の国家予算並みじゃないか(笑)。それぐらい二刀流の大谷には価値があるということ。ただただ素晴らしいとしか言いようがない。そんなにお金を出してドジャースも破産しないのかなと思うけど、知人のメジャー通に聞くと、来季のチケットはもう完売になったみたいだし、グッズ販売も好調。テレビ局からの巨額の放映権料や日米メディアで取り上げられる宣伝効果などを換算すると、「十分に元は取れる」ということだった。

 アメリカからの報道によると、山本も総額約400億円ぐらいの提示を受けているみたいだけど、これも本当にすごい。日本球界でも日本一になった阪神で大幅アップの契約更改が相次いだ。村上が6000万増の6700万円、大竹も4700万増の6700万円…。1年頑張っただけで大幅に上がる。2、3年続けて活躍すれば、軽く1億円を突破する時代になった。

 私が阪急に入った頃(1977年)は1000万円が一流選手の証しだった。今でいえば1億円プレーヤーにあたるだろう。当時は球界全体に王さん、長嶋さんの年俸を超えてはいけないという“不文律”みたいなものがあったようだ。阪急の先輩に当たる山田(久志)さんは通算284勝を挙げ、最多勝など何度もタイトルを取っているけど1億円には届かなかった(最高年俸は87年の8200万円=推定)。

 阪急では「3年連続で実績を残さないと年俸は大幅に上がらない」と言われていた。大卒ドラフト1位で入団した私の最初の年俸は300万円。1年目に7勝を挙げて新人王になったけど、2年目は520万円だった。その後も2桁勝利を2度達成したけど、なかなか上がらず、1000万円を超えたのは7年目の29歳だった。

 今でも忘れられないのは86年オフの契約更改。前年に21勝を挙げて最多勝のタイトルを取って年俸は3800万円になっていた。86年は6月に右肘を痛めて約1カ月半、戦線離脱。それでも復帰後に巻き返して14勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルも手にした。ところが、球団からは100万円のダウン提示を受けた。「前年から投球イニング数が減った」というのが理由だった。といっても162イニング投げていたんだけどね。試合中の故障にもかかわらず公傷扱いにもならなかった。さすがにショックで保留したけど、2度目の交渉で現状維持でサインした。

 今の時代じゃありえない話だけど、阪急に限らず、当時はどこの球団もそんな感じだった。そこに大きな風穴をあけてくれたのが落合さんだった。86年にロッテで2年連続の三冠王となり、そのオフに年俸交渉で球団と対立。中日に移籍し、日本で初めて1億円プレーヤーになった。その後も落合さんの年俸は2億、3億と上がっていき、これが球界全体の年俸の底上げにつながった。私も長年の功績が報われ、94年オフ、40歳の時に初めて1億円プレーヤーの仲間入り。誇らしい気持ちになったものだ。

 もちろん、当時と今ではお金の価値が違うし、球界もFA制度がなかったりして時代背景が違うから簡単に比較はできないけど、落合さんのような先駆者がいたからこそ、1億、2億が当たり前になった今の時代がある。メジャーでも近年、超大型契約を結ぶ日本選手が増えてきたのも、パイオニアと呼ばれた野茂をはじめ、多くの日本選手の活躍があったからこそ、日本の野球が高く評価されるようになったといえる。

 今は本当に夢のあるいい時代になった。頑張れば頑張るほどお金がもらえる。選手もそういう有り難みを忘れることなく、素晴らしいプレーでファンを喜ばせてほしい。そして、今後も大谷や山本の後に続く選手がどんどん出てきてほしい。

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