巨人・水野スカウト部長が明かす40年前の池田高校 ウエート&超回復トレ ポカリOKに有酸素運動禁止 強さの秘けつ激白

 巨人・水野雄仁スカウト部長
 センバツ決勝、横浜商を完封で破り優勝した池田。投手・水野は歓喜のジャンプ=1983年
 センバツを制した池田。水野(前列左から2人目)らナインと記念写真に納まる蔦監督(同3人目)=1983年
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 野球評論家の槙原寛己氏が6日、自身のYouTubeチャンネル「Mr・Perfect CHANNEL」を更新。巨人・水野雄仁スカウト部長がゲスト出演し、池田高校の強さの秘けつについて明かした。

 水野氏は「やまびこ打線」の異名を取った池田高校で名将・蔦文也監督の下、高校2年時で出場した1982年の夏の甲子園、翌83年のセンバツで夏春連覇を達成。3季連続優勝を狙った83年の夏の甲子園では準決勝でKKコンビ擁するPL学園に敗れ、「桑田に初めてホームランを打たれた」と振り返った。

 その強さの秘けつについて「蔦監督が新しいもの好きだった」と述懐した水野氏。グラウンドに雪が積もって技術練習ができない冬場のトレーニングでは「当時、コーチが国士舘大のレスリング部出身で、その人が『ウエートやらせていいですか』って言って、ウエートトレーニングをガンガンやったんですよ。そしたら体が出来あがっちゃって。みんなホームラン打つんですよ。そしたら監督喜んじゃって『1年間やれ』ってなって」と明かした。

 当時はウエートトレーニングが浸透していなかった時代。さらに「体のためにといって1週間に1日休みがあった。積極的な休養をしないと筋力が回復しないって。筋肉は大きくならないって」と現在では浸透した超回復の理論も取り入れていたという。

 また昭和の時代は練習中の水分摂取がとがめられていた時代。だが蔦監督が徳島県に工場がある大塚製薬からポカリスエットを勧められた際、「監督がそれは体にええんか?と聞いて『いいです』って言われて。忘れもしない。高校2年の5月からポカリ飲みながら練習やって良くなったんです。考えられないでしょ」と明かした。その年の夏の甲子園で優勝したことで「池田高校は水を飲んでるって結構話題になりました」と水野氏は懐かしそうに振り返る。

 槙原氏も「本当に水を飲んじゃいけない時代だった。トイレの水を飲んでいた」と呼応。さらに食トレや有酸素運動禁止など、“阿波の金太郎”の異名を取ったルーツを惜しみなく語った水野氏。槙原氏は「俺らはガリガリだった。ルパン三世みたいだった。40年前に今のことをやってるよね」と評していた。

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