元巨人バッテリーの中尾孝義氏が斎藤雅樹氏に謝罪 35年前の伝説のノーヒットノーラン未遂を回顧

 元巨人のバッテリー、斎藤雅樹氏と中尾孝義氏が8日に更新したYouTube「ピカイチ名古屋チャンネル」で“伝説のノーヒットノーラン未遂”を振り返り、捕手の中尾氏が35年前のできごとを謝罪した。

 斎藤氏が20勝を挙げた1989年。8月12日、ナゴヤ球場での中日戦は3点リードの九回1死まで打者26人を無安打(四球1、失策1)に抑えていた。

 しかし、27人目の代打・音重鎮に右翼線への安打を打たれて記録達成が途切れると、ここから悪夢が。2死までは奪ったが、四球と右前適時打で1点を返され、なお一、三塁で4番・落合博満に右中間への逆転サヨナラ3ランを被弾した。

 無安打が途切れても「3-0で勝っていたから、とりあえずこの試合に勝てばいいやとしか思っていなかった。ガックリしたということは全くなかった」という斎藤氏だが、サヨナラ被弾には「ショックだった。えっ?と思って。あ、負け?と思った。3-0で勝っていたのに、やってもうた、ですよ」とぼうぜんとしたという。

 リードした中尾氏は「あとからよく考えたら(落合氏には)四球でもよかった。自分がバッテリーコーチだったらそういうアドバイスをする。終盤に外野フライが多くなったのは球の力がなくなっている。当然打者も慣れてくる。そう考えるとあそこで落合さんに勝負にいったのは…ごめんなさいです」と本人に謝罪。これに対して斎藤氏「あそこで『歩かせてもいいぞ』って言われても、それも嫌だったと思う。真剣勝負ですよ。ただホームランだけはダメだった」と振り返った。

 同年に11試合連続完封勝利のプロ野球記録を樹立するなどした通算180勝右腕だが、18年間の現役生活でノーヒットノーラン達成はない。「こんなチャンスはめったにないし、絶対にやりたいし、やらせたいし」と当時の思いを明かした中尾氏。斎藤氏も「唯一のチャンスだったとしか覚えていない。(無安打で)9回まで、あそこまでいったのは唯一だったと思う」と悔しそうだった。

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