和歌山・耐久 創部119年の重みと強み 「歴史塗り替えた」近畿4強で甲子園初出場確実!目標はベスト8

 昨秋の近畿大会・準々決勝で、須磨翔風に勝利した耐久ナイン=2023年10月29日
 耐久校内にある同校創設者・浜口梧陵氏の銅像
2枚

 第96回選抜高校野球大会(3月18日から13日間・甲子園球場)の選考委員会が26日に開かれ、出場32校の発表が行われる。近畿4強入りを果たした和歌山・耐久は1905年の創部以来初となる甲子園出場が確実。日本有数の伝統校の歴史と強さの秘訣(ひけつ)に迫った。組み合わせ抽選会は3月8日に行われる。

 ペリー率いる黒船が来航した1年前、1852年に耐久は産声を上げた。さかのぼれば今から172年前、野球部創部も1905年と119年前のことになる。果てしなく長い歴史を継いだ現在の耐久ナインが、1世紀以上閉ざされていた聖地への扉をこじ開けた。

 「歴史を塗り替えられてうれしいです」と主将の赤山侑斗内野手(2年)。これまでは県大会4位が最高だった中、初優勝を果たし、近畿大会でも4強入り。センバツ出場は確実な状況だ。白星を重ねて新聞に記事が載るたびに、ナインは「こんなに歴史があったんだ」と伝統校の重みをかみしめた。

 校内には同校にまつわる資料が展示されている「耐久史学館」という教室がある。入学直後は、校内ツアーの一環で歴史を学ぶのが恒例行事。部員の頭に刻まれているのが、同校の始まりとされる稽古場を作った浜口梧陵氏の名だ。1854年・安政南海地震の津波の際に活躍した同氏が主人公のモデルとなった「稲むらの火」は、東日本大震災などで脚光を浴びた物語。「稲むらの火は印象的。周りから一番言われることが多いですね」と主将も創設者の偉大さを感じていた。

 「入部したときから大体顔見知り」と地元で構成された部員は19人。「才能のある選手なんて僕らにはいない」と入学時から弱さを自覚し、団結して聖地を目指す中で“地元集団”で戦う誇りを宿していった。

 県外出身者もいる智弁和歌山など強豪私学への対抗心が力の源。平日は他の運動部とグラウンドを併用するなど決して環境にも恵まれないが、2カ所ノックなど地道な基礎練習に注力して堅守を築いた。「一から土台を作ってできたチーム」と主将は自負し、昨秋の公式戦8勝で確かな自信を得た。

 「初出場の公立校で(見ている人は)名前も聞いたことないと思う。目標はベスト8です」と赤山主将。170年を超える歴史を上書きし、超伝統校の名を全国にとどろかせる。

 ◆稲むらの火 1854年の安政南海地震で津波が起こった時の出来事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための精神などを説く。戦時中から戦後にかけて国定教科書に掲載された。主人公のモデルが浜口梧陵で、安政南海地震の際に稲むら(刈り取った稲束)に火を放ち、逃げ道を示して多くの村人を救った。

 ◆耐久 1852(嘉永5)年に幕末の国際情勢に備える人材養成のための稽古場として開かれ、耐久社、耐久学舎、耐久中学校と改称。1948(昭和23)年に有田高等女学校と合併し、現在の校名となり共学に。普通科のみの県立高校で全日制と定時制がある。所在地は和歌山県有田郡湯浅町湯浅1985。

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