世界記録保持者の通算317勝左腕から最も多くの本塁打を記録した男が語る 真っ向勝負とは~元阪急・長池徳士氏の記憶
阪急ブレーブス(現オリックス)の4番打者で、本塁打王と打点王をそれぞれ3度獲得した長池徳士氏(80)が現役時代を振り返り、日本が生んだ名投手との対決を回想した。
「当時、速さで群を抜いていた投手は東映の尾崎(行雄)、ロッテの村田(兆治)、近鉄の鈴木(啓示)の3人でしたね。だれが“一番”ではなく、感覚的にはみんな同じくらい速かった」
3投手の中で最も短命に終わったのが尾崎だったが、長池氏の印象では「球速は160キロくらい出ていたんではないか」という。
「彼はシュート気味の直球とカーブしかなかったけど、指にすぐマメができていた。引っ掻く力が相当強かったんでしょう」
球種は、ほぼこの2つに限定されたようで、投球時に「(モーションの)クセが分かった」という。クセが「見分けられなかったときは打てなかった」とも話す。
「村田は速いだけでなくフォークも凄かった。鈴木はどんどん向かって来る投手でしたね」
長池氏は現役時代、338本塁打を記録したが、そのうち22本を通算317勝投手の鈴木から放っている。
鈴木から見ると、自身が浴びた560発の本塁打(最多被本塁打世界記録)のうち、最も多く打たれた打者が長池だった。
両者の対決による最後の本塁打は、代打逆転満塁という劇的なものだった。それは1978年9月11日、西宮球場での阪急-近鉄戦。近鉄1点リードの七回に飛び出した。浮いたフォークをセンター左へたたき込んだものだった。
阪急はこの年、前期に続いて後期優勝も果たし、4年連続リーグ優勝の金字塔を打ち立てた。後期成績は2位近鉄にゲーム差なしの6厘差。仮に9月の天王山初戦で放った長池の一発がなかったら…さてどうなっていたことか。
ところで、若い頃の鈴木は常に真っ向勝負を挑んできたという。
「彼はストレートに自信を持っていたから“えーいっ”と来る。こっちは内角高めのストレートしか狙っていないのに、そこへドーンと来るんです。全然逃げないし、小細工しない。球は速かったけど、その速さに負けなかった時は打てたんです」
男のロマンを感じるような“一騎打ち”の対戦成績は204打数67安打、22本塁打、52打点、打率・328だった。
長池氏がもう一人の名投手を例にとり、両左腕を独自に比較した。
「江夏(豊)は速くて重くてコントロールがよかった。鈴木は球は速いが、球質が軽く、コントロールが悪かった」
阪神の江夏とは球宴やオープン戦以外に対戦することはなかったが、「“長池が内角に強い”となると絶対に(内角へ甘い球は)来なかった」という。
「外角低めが中心。そのコントロールがまた凄い。10球中10球投げられる投手は(対戦した中で)江夏ぐらいでしょう」
1971年の球宴ではパの3番打者として「江夏の9連続奪三振」を“アシスト”している。
初球、図ったように外角低めの直球で空振りさせられると、あとは内角球もうまく使われ、最後は外角のフォーク(スプリット)で三振に仕留められた。「とにかく真ん中に来ない」のが江夏の投球だったという。
鈴木と江夏。大投手2人。“奪三振マシン”では双璧だった両者を分けたのは投球の緻密さか。
その後、鈴木は制球力を磨き、78試合無四球完投という日本記録を作った。少なくとも最後まで投げ抜かなければできない記録。これまた凄いではないか。
(デイリースポーツ/宮田匡二)