広沢克実氏 巨人→阪神と移籍した裏話を明かす 恩師から「自由契約にしてくれと言ってこい、と」

 広沢克実氏
 広沢は左越えに通算300号となる同点本塁打を放ち、ファンの声援に花束を振って応える=2001年9月12日
 飛球を懸命に追う広沢は勢い余ってカメラ席に飛び込む=2001年4月11日
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 ヤクルト、巨人、阪神でプレーした広沢克実氏が4日、田尾安志氏のYouTubeチャンネル「TAO CHANNEL」に出演。巨人を自由契約になり、阪神へ移籍した経緯を明かした。

 広沢氏は1990年代に名将・野村克也氏のもとで活躍。主力選手として93年の日本一に貢献した。94年オフにヤクルト球団社長と待遇面を巡り対立。「自分はすごく若かったし、球団社長と戦って勝てるわけないよね」と苦笑いで当時を振り返ったが、FAで巨人に移籍した。

 巨人では成績不振に苦しんだが、「振り返った時にいろいろな球団に行って見解は広がった。勉強させてもらうきっかけになった。長嶋さんのもとでやったのも勉強になった」と広沢氏。5年間プレーした後、2000年オフに阪神へ移籍した経緯も振り返った。

 広沢氏が阪神に移籍した理由は恩師・野村克也氏の存在。当時、阪神監督となっていた野村氏から声がかかり、「トレードは難しい。自由契約になってくれればフリーだから。巨人の代表に無条件にオレを出してくれと言ってこい。もしやれるなら来い」と言われたという。近鉄に移籍する可能性もあったというが、広沢氏が巨人に自由契約の打診をすると、あっさり受け入れられ、「二つ返事で阪神に行きました」とうなずいた。

 広沢氏と同じく、現役時代に3球団を渡り歩いた田尾氏は複数球団でプレーした経験は大きいとし、「人間として見た時にはマイナスじゃないよね」と共感していた。

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