高野連が神対応 能登地方の球児が甲子園の土を踏む 震災で「野球やめたい」の声がきっかけ ランニングや校歌歌う高校も

 「能登の球児応援プロジェクト」で甲子園を訪れた高校生(撮影・石井剣太郎)
 胴上げされる飯田高校の笛木勝監督(撮影・石井剣太郎)
 「能登の球児応援プロジェクト」で甲子園を訪れた高校生(撮影・石井剣太郎)
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 「選抜高校野球」(23日、甲子園球場)

 能登半島地震で被害を受けた石川県高野連に加盟する13校の指導者と部員の計178人が、試合を予定していた石川県勢の日本航空石川と星稜を応援するため来場した。残念ながら中止となったが、甲子園歴史館や球場施設を見学。グラウンドにも足を踏み入れ、声を出して体を動かしたり、校歌を歌ったり、写真撮影をしたりと特別な舞台を味わった。

 石川県高野連の佐々木渉理事長は「加盟校の現場から『野球をやめたい』と下向きの声があった。そういう中で、羽咋(はくい)工業の関係者から、『日本航空石川を応援しに行こう』という声がありました。それで、羽咋工業だけではなく能登全体でやろうと、このような取り組みになりました」と経緯を説明。「子どもたちの笑顔と喜ぶ声を聞いてとても安心しました」とうなずいた。

 羽咋工業の岡羚音(れおん)主将は「震災で苦しい思いをしたんですけど、こういったこと(甲子園に来る)で自分たちがより野球と向き合える」。穴水・東野魁仁(かいし)主将は「震災で被害を受けて穴水町はすごいことになっていて、水も出ていないところがまだあったりする。その中で、甲子園球場を見させていただいて貴重な体験をさせてもらって、とてもうれしい」と語った。

 岡主将は「志賀町に住んでいて、屋根から瓦が落ちてきたり家の壁紙がはがれてきたりと、命もあるかなと思うくらい揺れて本当にびっくりした」と震災時の状況を明かし「震災が起きた時は野球のことすら考えていなくて、みんなが大丈夫なのかということしか考えられなかった。落ち着いてきて野球がしたいという思いはあったんですけど、学校には通えなかったので一人で練習することしかできなくて。震災後、初めてみんなで練習した時は本当に楽しかった」と回顧。東野主将も「グラウンドが使えない状況だったので、野球できるのかな?と思ったんですけど、一人一人が家族とかとキャッチボールとか素振りとかしていたと聞いた。みんな野球がやりたいんだなと。野球できることが当たり前ではないんだなと思いました」と語った。

 順延となった24日の試合も半数以上が残って観戦したいと希望を出しているという。佐々木理事長は「夏はこのようなご厚意で甲子園の土を踏むのではなくて、実力で、きょう参加した加盟校が甲子園の舞台に立つ姿を期待しています」と力を込めた。

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