虎のみ込んだ日本ハム・新庄劇場 “18年ぶりタテジマ”で甲子園支配「怒られる前提。罰金用意していたもん」
「阪神2-8日本ハム」(29日、甲子園球場)
また度肝を抜いた。日本ハム・新庄剛志監督(52)がメンバー表交換時に古巣・阪神のユニホームで登場した。かつての本拠地で現役最終年だった06年に続く“新庄劇場”を繰り広げ、古巣のファンも魅了。試合では手塩にかけた選手が躍動し、監督として甲子園で初勝利を挙げた。阪神ファンにとっては悔しい完敗だったが…やっぱりタテジマが似合うわ。
誰ひとり予想できないパフォーマンスが待っていた。試合前のメンバー表交換。新庄監督がベンチを出た瞬間に、スタンド全方位から地鳴りのようなどよめきが起こった。ユニホーム。背番号は入団当初の63。その上には「新庄監督」と刺しゅうされていたのだった。
「1カ月前にオーダーして。サイズも寸法も。メーカーにね。誰にも言わずに」とニヤリ。「マネジャーには『タイガース時代からのオレのファンにプレゼントしたいから』と」とウソまでついて極秘裏に準備してきた。
岡田監督とはハイタッチはしなかったがガッチリ握手。審判団とともにスコアボードをバックに写真撮影した。「岡田監督も快く受け入れてくれて、記念になりました」。さらに1人でマウンド手前まで歩きスタンドに頭を下げてファンへの帰還のあいさつ。甲子園は拍手と歓声に包まれた。
現役引退を発表した06年の交流戦の試合前も背番号5の縦じまのユニホームに身を包んでノックを受けておとがめを受けていた。この日も「NPBから。すぐ来たみたいです」と明かす。「柔道で有効、技あり、あと一回やったら退場って警告来て…」と苦笑い。「怒られる前提。罰金用意していたもん」といたずらっぽく笑った。
試合前の主役の座は、試合中は選手に譲った。正捕手に抜てきした田宮が初回に中野の二盗を阻止。現役ドラフトで獲得した水谷は3安打2打点と起用に応えた。レギュラーと位置づけた万波は通算50号2ラン。新庄チルドレンたちが躍動した。
「ほんと選手たちが幸せだなって。こんなスゴイ球場、あんだけのファンの前でプレーできる。オレも出たいなって」。2年前の甲子園での交流戦は3連敗だった。「強いなー。ファイターズ変わったなー、ってスタンドのみんなも思ってくれたと思います。セ・リーグはタイガース、パ・リーグはファイターズのファンになるきっかけになってくれたらうれしいですね」と笑顔を見せた。
あえて「63番」のユニホームを用意した。甲子園の一番の思い出と位置づけるのはブレークした「63」を背負って1992年5月26日に放ったプロ1号本塁打。「26日が最近だったから。何とか63番で監督としてメンバー交換をしたかった」と明かす。「阪神ファンのみんなが思い出してくれたって。63番が見られるなんてって。それが聞けたらいくら怒られても別にいいです」。大好きな甲子園で笑顔がはじけた。
◆新庄監督の阪神ユニホーム この日、メンバー表交換時に阪神のユニホームを着用した日本ハム・新庄監督。野球協約167条(ユニホームの標識)には「試合に着用するユニホームには(中略)コミッショナーにより承認されたもの以外の文字又は標識を用いてはならない」とあり、新庄監督は試合では日本ハムのユニホームに戻しているためルールには抵触しない。
◆新庄監督過去の阪神ユニ 新庄監督は現役最終年となった2006年5月18日の阪神との交流戦(甲子園)でも、試合前のシートノックにタテジマの背番号「5」のユニホーム姿で登場。全身で新庄コールを浴びた当時は、両腕を突き上げるポーズで呼応。本塁へのレーザービームを披露して、颯爽(さっそう)と三塁側ベンチに引き揚げていた。ただこれはパ・リーグアグリーメント第26条2「開門後の試合前練習に参加する者はユニホームもしくは球団指定の練習着を着用しなくてはならない」とあるため、翌日、口頭注意されていた。