ヤクルト・奥川の使命 復興へ故郷の光になる 帰省中に被災「石川県の皆さんのためにも頑張るって決めた」
「オリックス3-5ヤクルト」(14日、京セラドーム大阪)
ヤクルト・奥川恭伸投手(23)が5回7安打1失点で、2021年10月8日・阪神戦以来、980日ぶりの勝ち星を挙げた。右肘痛や足首の骨折など、長くつらいリハビリを経ての勝利。復活のマウンドにかけた右腕の思いを担当記者が明かす。
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まさに、宿命-。奥川に戦う使命ができた。
1月1日。故郷の石川県を襲った能登半島地震。奥川も帰省していた同県中部のかほく市でランニング、キャッチボールと体を動かして親戚の家に戻った直後、震度5強と大きく揺れ、被災した。すぐに大きな音でサイレンが鳴り続ける。海沿いの街だ。「まずは高いところに行こう」。高台へ向かうため、洋服を着込み、家を飛び出した。
すると、一変した景色に思わず言葉を失った。「家の周りが…地面とかがダメだったんで、陥没、隆起で。もう段差があるところはこれくらいかな」。大きく、手を広げた。ゆがんだ道路は1メートル超の段差にもなった。「ドブがあるんですけど、家と道路が下がってドブが浮いているのか。ドブだけ浮いたのか」と状況把握もままならなかったが、「家の中にいたら結構揺れたな、と。でも外に出た時に相当なやつだってわかりました」。
家族と自動車に乗り込み、高台を目指した。通れた道は一本しかなかった。「そこが寸断されていたら車じゃ出られない感じでした」。輪島市では震度7を記録し、24年6月時点で260人の死者を出した未曽有の災害。東京に戻り、練習を開始した奥川だったが、常に故郷の状態を気にかけていた。1月末には「断水もこの間解けたみたい」と少し安堵(あんど)した表情を見せた。
投げられなかった2年間。苦しく、もがく時間ばかりだったが、人の温かさを知った2年間でもある。「やっぱり僕が投げられなかった期間でも、すごく温かいご声援を石川の皆さんからいただいた。すごく元気ももらっていました」。故郷は暗闇を照らす光だった。
「今年は石川県の皆さんのためにも頑張るって決めたシーズンだったんですけど。キャンプで離脱があって…」。涙で続いたのは、「本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした」という謝罪の言葉だった。それでも始まった恩返しの旅路。もらった勇気を、今度は返す番だ。元気を取り戻しつつある故郷の光になる。(デイリースポーツ ヤクルト担当・松井美里)