川崎憲次郎氏「炎上第1号でしたから」2003年の球宴“川崎祭り”で激白 復活の原動力は「1人のファンのために」落合監督との秘話も

 川崎憲次郎氏
 現役最後の登板を終え、かつてのチームメートのヤクルト・古田(左)から花束を贈られ涙する中日・川崎=2004年撮影
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 ヤクルト、中日OBの川崎憲次郎氏が18日、YouTubeチャンネル「ピカイチ名古屋チャンネル」に出演。2003年に起こったオールスターファン投票事件について思いを激白した。

 ギャオス内藤氏らと出演した川崎氏。中日にFA移籍後、右肩の故障に悩まされ「肘はいいんですけど、肩は無理。こんなはずじゃなかったのに、苦しかったですよね。あの3、4年はつらかった。肩も痛いし、周りからいろいろ言われるし。治したい、投げたいんだけど、治らない、投げられないんですよ」と回顧した。その上で「3年目のオールスターでああいうこともあったし」と明かす。

 川崎氏が語ったのは2003年のオールスターゲーム。右肩痛の影響で登板がない中でもファン投票1位で選出される事態となった。当時、インターネット投票の黎明期で悪意のあるファンが意図的に大量投票。「オールスターは今シーズンの実績を残している選手の出る場所であり、今回は辞退しました」と球団広報を通じてコメントを発表せざるをえない状況となった。

 当時、中日を率いていた山田監督、球団代表らも憤慨。後にインターネット投票のあり方が見直される契機となった事件は“川崎祭り”とも称されたが「もちろんお断りしましたけど、まあ名前が出てくるだけいいかなと」と振り返り、「炎上第1号ですからね。最初17位に出た時はまだ名前があがるんだなと思ったけど、あれよあれよと1位になって」と明かす。

 「ただその裏で本当にハガキを買って投票してくれたファンの方が多数いたってことなんで。これはこれでうれしかったんで」と当時の心境を語ると、共演者は感嘆。同年、「投げられるようになってナゴヤ球場で練習していると、1人のファンの人が寄ってきて『ナゴヤドームで待ってるからな』って言われて。俺、この人のために頑張ろうと思って息を吹き返したんですよ」と1軍のマウンドに戻るに当たって、ファンの声が原動力になったと述懐する。

 「すごくありがたかった。めっちゃうれしかった」と川崎氏。その翌年、落合監督就任1年目の開幕戦のマウンドに立つ。野球ファンが騒然となる衝撃的な起用だったが「1月3日に落合監督から電話がかかってきて『川崎、開幕お前で行く』と言われて」と明かし、「キャンプ中も『何かあったらすぐに言ってこい』と落合さんから言われてて」と1年目の指揮官が見せた配慮を明かした。

 広島・黒田との投げ合いで、二回途中5失点でKOとなり「せっかくチャンスをもらったのに情けないです」とコメントしていた川崎氏。改めて「悔しかったですよ。こんなつもりで来たわけじゃないのに」と率直な思いを明かした。

 最後に「名古屋は本当に大好きですよ。最後、名古屋に来たのも運命だし。ああやって、最後、落合さんが送ってくれたわけだし。本当に運が良かった」と結んだ川崎氏。元中京テレビアナウンサーの佐藤啓さんからは「ケガしている中でも報道陣の取材に丁寧に対応してくださった川崎さんの姿勢に、スタッフがすごく好感を抱いていた」というエピソードも紹介されていた。

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