渡辺恒雄さん死去 球界のドン98歳で人生に幕 “政界のフィクサー”マスコミなど各界に絶大な影響力
読売新聞グループ本社代表取締役主筆で、プロ野球巨人のオーナーや日本新聞協会会長も務めた渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。喪主は長男睦(むつみ)さん。後日、お別れの会を開く予定となっている。
政界のフィクサーとも呼ばれ、プロ野球界、マスコミ界に絶大な影響力を誇ってきた渡辺さんが死去した。読売新聞社によると、今年11月末まで定期的に出社し、役員会などに出席していたが、今月に入って体調を崩し、病院で治療を受けていたという。
巨人のオーナーには96年に就任。伝統チームの最高権力者で、球界に大きな影響力を誇った。ドラフト改革や新リーグ構想などでプロ野球界の在り方についても積極的に口を開いたが、高圧的な発言が反発を招くこともあり“独裁者”のイメージもついて回った。
04年、近鉄とオリックスの球団合併案に端を発した球界再編問題では選手会への対応を巡り、「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」などと発言。日本プロ野球選手会の古田敦也会長が話し合いを要求していると伝えられ、見解を問われた際の一言で、激しい反発を呼んだ。皮肉なことに球界史上初のストライキに踏み切った選手会が、世論の支持を集める一因になった。
オーナーを退いて球団会長を務めていた11年には、コーチ人事を巡って清武英利球団代表と対立。記者会見では「不当な鶴の一声で、プロ野球を私物化するような行為」と批判した清武代表を巨人が解任し、訴訟に発展するお家騒動となった。
健康面では、71歳だった98年に前立腺がんの手術を受けることを公表したこともあったが、亡くなるまで主筆として生涯現役を貫き、読売グループのトップに君臨。今年の3月には、巨人の行事である「燦燦会」に車椅子姿で壇上に上がっていたが、10月の優勝報告会は欠席していた。
また、故中曽根康弘元首相とは、若手政治家の時代から長年にわたり深い関係を築き、政界に影響力も持っていた。奔放とも思える発言で常にメディアの注目を引き、巨人や球界に大きな動きがあると“球界のドン”のコメントを求める報道陣が会食先に詰めかけたほど。ストレートな物言いと酒が入った後の葉巻姿もあり、知名度の高い名物オーナーだった。
◆渡辺 恒雄(わたなべ・つねお)1926年5月30日、東京都生まれ。98歳。東大文学部哲学科を卒業し、1950年に読売新聞社入社。ワシントン支局長、編集局総務兼政治部長を経て、79年取締役論説委員長。80年常務、83年専務、87年副社長。91年5月に代表取締役社長・主筆に就任。96年12月に巨人オーナーとなる。04年1月から読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆。16年6月から同代表取締役主筆。