渡辺恒雄さん悼む こわもてだけではない ユーモア精神をお持ちだった
読売新聞グループ本社代表取締役主筆で、プロ野球巨人のオーナーや日本新聞協会会長も務めた渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。
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こわもてだけではない。ユーモア精神をお持ちだった。それは、ご本人が自負していたのではないか。巨人担当時代、何度となくそんな一面に触れた。
1996年、長嶋茂雄監督率いる巨人は11・5ゲーム差からの大逆転優勝を果たした。長嶋監督はその道のりを「メークドラマ」と称した。
10月にリーグ優勝祝賀と日本シリーズ激励会が開かれ、挨拶に立った渡辺氏は「『メークドラマ』が広辞苑に掲載されることになった」と切り出して会場をどよめかせると、「いったん絶望的にまで負け越したものを劇的に逆転し、優勝することをいう野球用語-」と自作のパロディーを読み上げた。写真はその直筆原稿である。
92年、長嶋監督の復帰に尽力した氏にとって、この優勝は格別だった。世論調査を重ね、識者の意見を求め、長嶋監督再起用の結論を下す大詰めで大物OBから反対があった。「長嶋はだめだ。王の方がいい」-結局、この反対意見が結論に導いた。
「監督を決めるのはオレだ。アンタじゃない、と言ってやったんだ」と明かした。自ら招いた長嶋監督への思い入れはひとかたならぬものがあった。「広辞苑」は、氏ならではの長嶋監督賛辞であり、喜びの表現だった。
取材現場でもユーモラスな対応があった。台風の夜、当時五番町にあった自宅マンションで「何もないよ。こんな日は早く家族のところに帰ってやれ」と言われた。独り者だと応えると「なら嫁を紹介してやろうか?」と言う。あぜんとする私に「俺のお古でよければだがな」と笑った。
電話で他紙にJリーグ批判をぶち上げ、記事になった。「1社だけにそういうことは困る」と抗議すると、「すまん。各社に電話するつもりだったんだけど酔っぱらって寝ちゃったんだ」。
04年の「たかが選手が-」発言以降、ユーモラスな一面を伝え聞かなくなってしまったのが残念でならない。合掌。(デイリースポーツ、1986~94年巨人担当・津舟哲也)