中日一筋の名球会打者 首位打者獲得でも年俸上がらず「ドアを蹴飛ばして帰った」→本塁打量産のきっかけに 助言したのは「日本軍のスパイ」
中日一筋で通算2062安打を放ち、名球会入りした谷沢健一氏が、8日に公開されたデーブ大久保氏のYouTubeチャンネル「デーブ大久保チャンネル」に出演。現役時代、首位打者を獲得してまったく給料が上がらず「ドアを蹴飛ばして帰った」と武闘派エピソードを明かした。
中日に在籍した1976年、谷沢氏はキャリアハイとなる176安打を放ち、打率・355をマークして首位打者を獲得した。2位の張本勲を6糸差で逆転してタイトルを手にしたが、オフの契約更改では「貢献度が低い」と告げられたという。
この年、「176本のうち、単打が140本。単打に徹してたのよ。そうじゃないと張本さんを抜けない。リーディングヒッターになったけど打点も少ない」と回顧した谷沢氏。契約更改の席ではスコアラーの詳細なデータを球団代表に提示され「タイトル料はあげると言われたけど、年俸を抑えられちゃって」と明かし、「怒ってドアを蹴飛ばした」という。
「でも3番、4番打っている以上は3つ(打率、打点、本塁打)そろわないと。打率だけが高くて、ホームランが10本、打点が50台。それじゃダメなのよ」と自戒。その後、「フォームもスタイルもスタンスも変えて。そしたら急にホームランが出るようになった」と打撃フォームを変えたことで1980年から5年連続20本塁打以上をマーク。「おじいさんから体の緩め方を教わった。体を緩めるところで肝心なところで力が入る」と振り返った。
谷沢氏がおじいさんと語ったのはある個人トレーナーの存在。1978年にアキレス腱を痛め、翌79年は11試合の出場にとどまった。「当時75、6歳のおじいちゃんで。動脈と静脈の流れを意識して、日本酒を振りかけながらマッサージしてもらって」快方へ向かったという。
「あとから聞いたらその人、日本軍の特務機関員だったって。中野学校を出た日本軍のスパイ。中国戦線でスパイ活動する際、軍医から自分で自分を治療する治療法を教わっていたみたい」と衝撃エピソードも披露。思わぬ人とのつながりが、打撃を覚醒させたと自ら明かしていた。