イチロー氏が野球殿堂入り 史上7人目の資格1年目&高得票率で選出 初の日米W殿堂入りへ一歩 岩瀬仁紀氏、掛布雅之氏も選出
野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りのメンバーを発表。競技者表彰のプレーヤー表彰として、オリックスで一時代を築き、MLBマリナーズでも歴史的な活躍を見せたイチロー氏、NPBで歴代最多となる1002試合登板、通算407セーブの岩瀬仁紀氏を選出した。またエキスパート表彰では阪神の4番を務め、1985年の日本一に大きく貢献した掛布雅之氏が選ばれた。
イチロー氏は1991年度ドラフト4位でオリックスに入団。仰木監督のもと、登録名が「イチロー」となった94年、レギュラーに定着するとNPB史上初めてシーズン200安打の偉業を達成。独特の振り子打法は野球少年少女もマネするなど、爆発的なブームとなった。
翌95年は年初に阪神・淡路大震災が発生した中、「がんばろうKOBE」の象徴的存在に。首位打者、打点王など5部門でタイトルを獲得し、チームのリーグ制覇へ導いた。96年はパ・リーグ連覇、そして悲願の日本一を達成。3年連続のMVPはプロ野球史上最長タイの偉業だった。
通算7度の首位打者、前人未到のシーズン打率4割到達に挑戦するなど数々の実績を日本で残したイチロー氏。2000年オフにポスティングシステムを使ってマリナーズへ移籍し、日本人野手で初のメジャーリーガーとなっても勢いは衰えなかった。1年目から新人王、首位打者、盗塁王など数々のタイトル&表彰を獲得し、2004年にはジョージ・シスラーが持っていたMLBシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新する262安打をマークした。前人未到の10年連続200安打は今も野球の本場で輝く偉業だ。
今回の殿堂入りに関しては、候補者入り1年目での選出は史上7人目の快挙。さらに得票率は90%を超えるなど、文句なしの結果となった。またイチロー氏は日本時間22日に発表される米国野球殿堂入りも確実視されており、史上2人目となる満票で選出されるかにも注目が集まっている。日米でW殿堂入りとなれば、初の快挙となる。
岩瀬氏は1998年度ドラフト2位で中日に入団。1年目からリリーバーとして65試合に登板すると、15年連続50試合以上登板という離れ業をやってのけた。150キロを超えるボールこそないが、抜群のキレとコントロール、そして他球団の打者が「消える」と表現したスライダーという技術だけでなく、“鉄腕”という称号が最も相応しい左腕だ。
NPB記録となる通算1002試合登板、そして同最多となる407セーブ。落合政権下で黄金時代を築く原動力となった。6度出場した日本シリーズでは一度も失点したことがなく、今でも語りぐさとなっている2007年の日本シリーズでは、九回を三者凡退に仕留めて継投での完全試合を達成。メンタルの強さも抜きんでていた。
昨年のエキスパート投票でわずか2票届かず殿堂入りを逃していた掛布氏は1973年度ドラフト6位で阪神に入団。テスト生ながら1年目から83試合に出場すると、1979年に初の本塁打王を獲得するなどチームの主砲として活躍した。4番を任されることに強いこだわりを持ち、その姿をファンは「ミスタータイガース」と形容。1985年は4番として全試合出場を果たし、日本シリーズ制覇を達成。ランディ・バース、岡田彰布と放った伝説のバックスクリーン3連発は今もファンの記憶に残るなど、強烈なインパクトを残した選手だった。
指導者としても2013年オフに阪神にコーディネーターとして復帰すると、15年オフに2軍監督に就任。若手選手の育成に尽力した。