二刀流表明の楽天・辰己 電撃初ブルペンで152キロも石井GM「不合格」 スタミナ不足「人の2倍、3倍やらなあかんな」
「楽天春季キャンプ」(7日、金武)
楽天・辰己涼介外野手(28)が7日、挑戦を表明していた二刀流として初めてのブルペン入り。捕手を座らせて7球を投じ、いきなり自己最速の152キロを計測した。だが、見守った石井一久GM(51)は「不合格」の判定。スタミナ不足を指摘するなど、二刀流は当面見送られることが決まったが…。辰己は未練タラタラに、夢挑戦の意向を示した。
突然決まった“試験”に辰己は、120%の力を出し切った。「本気」の二刀流挑戦を明言し、今オフから重ねてきた準備。三木谷オーナーの「やってみたらいいんじゃないの?」の言葉が背中を押したこともあり、ついに聖域でもあるブルペンへ足を踏み入れた。
ファンからは歓声も起こり、報道陣は一堂に会する。「見栄えのいい番号で立ちたかった」と背番号はいつもと違う11。先輩・岸に頼むと快諾を得た。三木谷オーナー、石井GMの見つめる中、ほぼ練習なしの“トライアウト”が開演。オール直球で7球を投げた。
中でも5球目に計測した自己最速の152キロにはガッツポーズ。今キャンプ全選手の最速を記録しただけに、辰己も「5球目で150キロオーバー投げた。野球って簡単やなと思いました。一次審査は多分クリアしたと僕は思っています」と豪語。伸びしろ十分の速球に自信をのぞかせ、今後の展望も見据えていた。
だが、石井GMの評価はまさかの「不合格」だった。二刀流契約は当面見送られることが決まり、「今後まずは野手一本でいってもらう」と球団として判断。三木谷オーナーは「予想以上。辰己くんは本当にファン思い」とご満悦だったが、「まずは走り込みから始めてもらいます」とは石井GM。スタミナ不足を指摘される結末に至った。
この結果に最も驚いたのが辰己本人だ。「マジっすか。152、投げてもダメなんですか」。あんぐり顔を見せたが、そう簡単には諦めない様子。走り込みの宿題には「野手と投手をやるわけなんで人の2倍、3倍とやらんとあかんなとは思います」と意欲を示した。さらに冷え込んだ金武の環境にも触れ、「寒すぎやろと思いました。なのでまだまだ出ると思います。暖かくなるにつれてもっと(球速も)出る」と球速アップも断言した。
今オフから投手一本の練習に励み、「本気」の挑戦を続けている。だが、これにて辰己劇場も終焉(しゅうえん)か-。「チームがどうしても枚数が足りなかったりとか、ケガ人が多くなったりとかっていう時のもう最終兵器としては、全然戦力にはなれる。中継ぎでどうにかっていうところは、また再度検討してもらえたらなと思います」。未練はタラタラ。夢の中で160キロをマークした男の野望はもしかしたら、続きがあるのかもしれない。
【過去の主な二刀流選手】
▼永渕洋三 近鉄に入団した1968年、投手で12試合0勝1敗、防御率2.84。打者では打率.274、5本塁打、30打点の数字を残した。翌69年から79年に引退するまでは打者に専念した。
▼イチロー 96年7月21日、オールスター第2戦(東京ドーム)の九回2死、松井に打順が回ると、パ・リーグの仰木監督がライトを守っていたイチローをマウンドへ送った。これに対してセ・リーグの野村監督は投手の高津を代打に起用。イチローは高津を遊ゴロに抑えた。
▼新庄剛志 99年3月5日、熊本で行われた巨人とのオープン戦。野村監督が、外野手の新庄を先発の川尻に続いて四回から2番手としてマウンドに送り出した。新庄はMAX143キロのストレートを中心に18球を投げ、元木、二岡、後藤を抑えて三者凡退で1イニングを投げ切った。同21日のダイエー戦(福岡ドーム)でも、1イニングを投げたが松中に本塁打を浴びて1失点。結局、ピッチャーとして登板したのは、この2試合のみ。公式戦でマウンドに上がることはなかった。
▼嘉勢敏弘 97年に外野手登録のまま救援で2試合に登板、00年には21試合1勝4敗、防御率5.10。翌01年から04年までは投手に専念した。
▼大谷翔平 日本ハムに在籍した13~17年の5シーズン、投手として42勝15敗、防御率2.52、打者として打率.286、48本塁打、166打点。リアル二刀流を貫いた。
▼矢沢宏太 23年に日本ハムに入団してからの2シーズン、投手として19試合1勝2敗、防御率3.52、打者として打率.167、1本塁打、4打点。