東洋大姫路・岡田監督 名物ノック秘話「ああいうふうにする方が参加意識があるやん」 教え子の記者が直撃インタビュー

 テンポの速いノックを行う岡田監督(撮影・今井雅貴)
 かつての教え子と再会した東洋大姫路・岡田監督(左)
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 昨秋の近畿大会王者で、今春選抜高校野球大会(7日抽選会、18日開幕)に出場する東洋大姫路・岡田龍生監督(63)を履正社高時代の教え子であるデイリースポーツ・中谷大志記者(26)が直撃インタビューした。履正社を19年夏の甲子園優勝に導き、22年に母校の監督に就任した恩師の本音に迫るとともに、中谷記者も苦戦した岡田監督の“名物ノック”の秘話など思い出話に花を咲かせた。

  ◇  ◇

 中谷記者(以下中谷)「東洋大姫路の監督に就任して約3年。履正社時代から変化はありますか」

 東洋大姫路・岡田監督(以下、岡田監督)「ベースは変えてないよ。中谷の時もそうやけど、在学中に一度も甲子園のグラウンドなり、アルプスで応援したことなく卒業した子は今なおいないねん。多田先生(現履正社監督)もすぐ(岡田監督が退任してから)春夏甲子園に出て。今の履正社の新3年生の子らもすぐに夏出てる。土井健大(元巨人で現東大阪大柏原監督)くらいから甲子園を経験せずに卒業する学年は一つもない。(甲子園に出ている代を)必ず見ながらずーっとサイクルがあるわけや。僕らの時(東洋大姫路在学時)は2個上が全国優勝。3つ上がセンバツに初めて出てベスト4。僕らの3つ下が夏ベスト4。やっぱり在学の時に見たり、中学3年生で東洋を見て選んできてくれる子がずっといて。もう甲子園の勝利は14年ないんかな。見て学んでいくみたいなそういうサイクルが今はないよね」

 中谷「僕が覚えているのは東洋大姫路の監督に就任したばかりの頃に『この子たちは時間がかかる』と言っていたことです。履正社でやってきた当たり前のことの意識がないということを言ってましたよね」

 岡田監督「来た時は3年生が29人いたんです。そのうちの9人しか先の進路で野球をしないと。その次の年は23人で3人。その次は48人で5人。その感覚で来ているから意識の格差は開いていくと。上で野球をしようという選手がいなかった。履正社で30年ほどやりましたけど高校で野球をやめますという選手はほとんどいなかったので」

 中谷「練習を見ていて思いましたが、全く履正社時代と練習内容が変わっていないなと」

 岡田監督「変わらへんやろ。ノックのスピード変わってへんか(笑)俺いっつも言うねん。履正社の教え子が来たらノック見とけって。前よりスピード衰えてないかって(笑)」

 中谷「3年前くらいに『もうノック打たれへん』と言っていた記憶もあるんですが。全然まだまだ動いているなと」

 岡田監督「今までやってきたノウハウはあるし、元々ああいうノックをしたのは俺一人しかいなかったから。一人でどうやって人を動かすかっていうところでやったわけやんな。やっぱり緊張感。順番に打っていたら結局休む選手がいるから。最初は全くついてこられへん」

 中谷「そうですよね。僕はピッチャーをやってましたけど、サードゴロが飛んだら基本的に(送球が)頭に当たるもんだと思っていたので(笑)。投げたらしゃがむってところから始めるんです」

 岡田監督「ほんで入るタイミングわからへん。ピッチャーなんてね」

 中谷「ボーッとしていたら上級生から厳しい声が飛んで(笑)めちゃくちゃ難しかったです」

 岡田監督「(東洋大姫路でも)最初は全然ついてこられなかったね。だいぶペースダウンした。今やっとあれくらいのペースでやれるようになった」

 中谷「岡田先生が就任1年目の時は全くできなかったんじゃないですか」

 岡田監督「できひん。危ない危ない。だからゆっくりやった」

 中谷「普通のノックをやっていたんですね。それも新鮮ですね」

 岡田監督「ああいうふうにする方が参加意識があるやん。どこに飛んでくるかわからへんから。三遊間に打球が来たら当然ショートもサードも動かなあかんでしょ。野球なんてどこに飛んできてどうかなんかわからへんから」

 -母校に帰ってきて思うことは。

 岡田監督「いい学校になったなと。僕らの時とは全然違う。(夏初優勝したのが)13回生、12回生の時にセンバツで初めてベスト4。この辺から全国的に東洋大姫路と知ってもらって。今は『最近強くなりましたね』と言われるねん。すごく違和感があって。僕らの時も強かったですよと言いたいんですけど。だんだん忘れられている」

 (続けて)

岡田監督「ここはね、阪神ファンみたいな感じですごい東洋を応援してくれる。地元の人たちがね。大阪とはまた違った感じで。お米持ってきてくれたり、穴子持ってきてくれたりタコ持ってきてくれたり。僕が3年の時に1年生だった一般生の人が来てくれたり。同級生が来てくれたり。生徒の時はわからなかったけどね。今回帰ってきて新しく感じたり、知ることは一杯ある。姫路の人がすごく応援してくれる。ありがたいです」

 中谷「東洋大姫路といえば強いという野球部にならないといけないですね」

 岡田監督「そうやな。あの写真見て。(1977年夏の全国優勝時のパレードの写真)。姫路城の横の公園やで。あんだけパレードで人が集まってるねんで。(当時1年生の)僕らはあの中でガードマンをした。(メンバーは)オープンカーに乗って優勝パレードをして舞台に立って。姫路市の人、全員来たんちゃうかくらい来て。舞台で選手が座ってな」

 中谷「センバツへの手応えはどうですか」

 岡田監督「まあまあやるんじゃないかなと思うんやけど」

  ◇  ◇

 【岡田流ノック】

 高速ノックで行われる投内連係で、履正社時代からの名物。打球はランダムに放たれ、投手は実際に投球も行う。

 ◆岡田 龍生(おかだ・たつお)1961年5月18日生まれ、63歳。大阪府出身。東洋大姫路、日体大で主将を務め、卒業後は鷲宮製作所でプレー。桜宮で2年間のコーチを経て、87年に履正社の監督に就任。甲子園は春夏通算13度出場。2014年、17年のセンバツで準優勝し、19年の選手権で初優勝。22年4月から東洋大姫路の監督に就任。

 ◆中谷 大志(なかたに・たいし)1998年3月9日生まれ、26歳。大阪市出身。174センチ、78キロ。右投げ右打ち。現役時代のポジションは投手で最速は142キロ。5歳から野球を始め、13年に履正社高に進学。卒業後は関学大を経て、20年にデイリースポーツに入社。編集部、巨人、ゴルフを担当し、25年から関西のアマチュアスポーツなどを取材する。趣味は散歩、飲み歩き。

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