鯉ドラ1野間 1・17に感謝の誓い
阪神・淡路大震災の発生から20年目の1月17日-。兵庫県三木市出身で、広島・ドラフト1位の野間峻祥外野手(21)=中部学院大=が、野球をプレーできることへの感謝、そして野球を通じた社会貢献への誓いを口にした。この日は廿日市市の大野練習場での合同自主トレと、広島市の広島大学病院スポーツ医科学センターで体力測定に参加。あの日を忘れず、日々を大切に生き続ける。
特別な一日だ。元気よく午前中は合同自主トレに、午後は体力測定に取り組んだ野間。笑顔も交え和やかな雰囲気で取材に応じていた野間の表情が、阪神・淡路大震災に話が及ぶと真剣になった。
95年1月17日。野間は当時1歳。兵庫県三木市で暮らしていた。「自分は寝ていて、タンスが倒れてきたのを母(しのぶさん)が守ってくれたそうです。記憶はないんですが、悲惨な震災だったと聞きました」。小学校時から、地域で震災について学習してきた。
甲子園を目指し進んだ村野工は、被害が甚大だった神戸市長田区に位置する。体育館は遺体安置所だったという。6434人の命が失われた1月17日には、毎年黙とうをささげるようになった。
11年3月11日には東日本大震災が発生。大学1年だったその夏、中部学院大の東北遠征で訪れた宮城県気仙沼市で、がれき処理のボランティア活動に従事。被害の大きさに「すごかったです…」と絶句した。以降も毎夏の遠征時、同市で野球教室などのボランティア活動に参加してきた。
昨年8月20日には、広島市北部で大規模な土砂災害が発生。ドラフト1位ルーキーとして赴いた新天地は、まだ完全に災害の傷が癒えたわけではない。
「野球を見ている間だけでも、災害のことを忘れられるようなプレーをしたい。野球をすることで少しでも貢献できれば。自分がここまで来られたのは周囲の人のおかげ。人のために、という思いはあります」
1歳で体験した阪神・淡路大震災。兵庫に生まれた者として「自分らの世代は記憶がないんですが、親になっても子供たちに伝えていきたい」と、責任を語った。あの日を忘れない-区切りの日に誓いを一層強くした。