東出、感謝の17年!笑顔でさよなら
広島・東出輝裕内野手(35)=選手兼2軍野手コーチ補佐=が10日、マツダスタジアム内で引退会見を開いた。カープ一筋17年間の現役生活。球団への感謝を口にしながら、心残りとして「投手をやってみたかった」と、野球への尽きぬ探求心を明かした。低迷期を支えた名プレーヤーは今後、コーチとして後進の育成に従事する。
悔いなどない。だから涙は必要なかった。成功と挫折、復活と紡いだ激動の17年。決断の心境を問われると「さみしい気持ちはないです」と、スッキリとした表情で明かした。約30分の引退会見。球団への感謝を口にしながら、東出は潔く現役生活に別れを告げた。
「ケガの瞬間に辞めなきゃいけないかなと。足で入ってきた選手なので、動かなくなったら辞めようと」
振り返れば「長かった」と正直な言葉が口を突く。13年春のキャンプで左膝前十字じん帯を断裂。ここ3年は1軍出場がなかった。「手すりなしで階段を下りられない状況が…。去年までそう。野球には無理な膝なのかなと」。全力プレーの末の故障、全力でリハビリに専念した上での決断。迷いはなかった。
思い出をたどれば、1年目の春季キャンプが脳裏に浮かぶ。2軍練習場で野村謙二郎と前田智徳のフリー打撃を初めて見た時、一流の技術に言葉を失った。「いきなり一番すごいものを見せられて。無理だなと思った」。だから生き抜くために、必死になれた。先輩、時には後輩にも助言を求めた。
「どんどん自分から、ずうずうしく聞けた性格。自分から懐に入って、いいものを聞いて自分のものにしたいな、という思いだけは自分で誇れるかな」
特に、前田智には多大な影響を受けた。技術面だけでなく、不調時の過ごし方や配球、精神面の助言と多岐にわたる。「失敗して反省して、また失敗するしかないんだと。よく言われた」。ひたすらに、ひたむきに求めた野球道。「打つことだけなら、ケガする前よりうまくなってきたのかなと思う」と笑った。
悔いはないが、一つだけ心残りはある。やり残したことは-と問われると、少し笑みを浮かべて言った。「半分冗談で半分本気なんですけど、投手をやってみたかった。練習から本気でやってみたかった」。敦賀気比時代は投手として、甲子園のマウンドにも立った。引退してもなお、野球への探求心は尽きない。
「あの世代の中で単独1位で獲ってもらって、早くから1軍で使ってもらった。育ったから出るというのは、筋違いかなと」。FA権を取得した08年、球団への恩義で残留を決めた。ポストは未定ながら、今後はコーチとして後進の育成に励む。生涯カープを貫き、低迷期を支えた名プレーヤー。赤き闘志を胸に、チーム再建の重責を担う。