広島・黒田、ファンとともに歩んだ野球人生
広島・黒田博樹投手(41)が、23日の阪神戦(マツダスタジアム)で今季7勝目を挙げ、日米通算200勝を達成した。日本選手で日米通算200勝に到達した日本投手は野茂英雄に次ぐ2人目の快挙。97年にプロ人生をスタートさせ、20シーズン目での快挙。愛する広島の地で、愛するファンの前で達成した。試合後のセレモニーでは「いつもファンの人の声援に背中を押されて、心が折れそうな時でもマウンドに行く気持ちを常に持たせてもらって、本当に感謝しています」と、ファンへの思いを口にした。
広島5年目の01年に初の2桁となる12勝を挙げた。05年は15勝で最多勝を獲得。名実ともに広島のエースに君臨した。
13勝を挙げた06年シーズン後、FA権を行使するかどうかで揺れた。宣言すれば日米8球団が獲得競争に参戦すると言われた。しかし黒田は、FA権を行使せず残留することを選んだ。決め手となったのはファンの熱意。同年10月14日の阪神戦、同16日の中日戦のスタンドに、残留を祈るファンのメッセージが書き込まれた背番号「15」の応援旗が舞った。これが「判断材料の一つになった」という。
黒田は残留を表明する記者会見に、その旗を持参した。「広島だから頑張ってこられた」「このチームで優勝したい」「市民球場で広島ファンを相手に投げるのが想像つかない」と、チームとファンへの愛を語った。そして「この先、FAして国内移籍することはあり得ない」と言い切った。
翌07年シーズン後、悩み抜いた末にメジャー移籍を決断した。「違った野球にチャレンジしてみたいというのが決断に至った理由」と、涙ながらに語った。だが、その時も「評価される投手になったのもカープのおかげ。日本でやるなら、ここのチームしかない」と、育ててもらったチームへの思いを切々と語っていた。
メジャーで7年プレーし、14年シーズン後に広島へ戻ることを決断した。同年、ヤンキースで11勝を挙げた右腕には、メジャー球団からは総額20億円ものオファーがあったとされる。しかし黒田は、推定年俸4億円で古巣に復帰。その決断は「男気」と言われた。
「最後はカープファンの気持ちが大きかった。僕に残された球数は、そんなに残っていない。逆に日本で投げずに野球人生が終わった時に、自分で引っかかるものがあるんじゃないかと考えて判断した」
昨シーズン終了後、現役続行か引退かで揺れた。日米通算200勝にあと7勝に迫っていたが「それにはあまり思いがなかった」という。投げ続けることを決めたのは、周囲の思いだった。「球団を含め、ファンの方にまだやれると言ってもらって、プロとしてそれに応えないといけない」と、決断に至った思いを明かした。
人生の岐路で悩みながらも、ファンの思いに応えようとし、変わらぬ広島愛を持ち続けた。2度の足踏みの末に、真っ赤に染まるマツダスタジアムで迎えた歓喜の瞬間。野球の神様からのプレゼントだったのかもしれない。