カープ新井、目を潤ませ仙さんを追悼 北京五輪で監督と4番「野球人生の財産」

 07年12月2日 北京五輪アジア地区予選・韓国戦で得点に雄たけびを上げる星野代表監督(右から2人目)と新井(同3人目)=台中洲際棒球場
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 広島・新井貴浩内野手(40)が6日、マツダスタジアムを訪れ、4日早朝に膵臓(すいぞう)がんのため急逝した楽天・星野仙一球団副会長(享年70)を追悼した。2008年には日本代表監督と選手の間柄で北京五輪に出場し、星野ジャパンの4番を任された。当時を振り返り時折、目を潤ませながら、感謝の言葉を並べた。また、親交が深かった広島・松田元オーナー(66)も同氏の早過ぎる死を惜しんだ。

 午前11時頃、新井は沈痛な面持ちで、マツダスタジアムの駐車場に姿を見せた。突然の星野氏の訃報に、まだ気持ちの整理がつかないようだった。報道陣に「知ってた?」と問いかけ「全然、知らなかった。朝のニュースで知った。びっくりしています。お世話になった方なので、すごく残念でなりません」と悼んだ。

 星野氏と最後に言葉を交わしたのは昨年の楽天とのオープン戦。明石球場であいさつに出向くと、手荒い祝福と優しい笑顔に迎えられた。「2000本、おめでとう。よく頑張ったな!」。一昨年に通算2000安打を達成。改めて大きな節目の記録をねぎらわれ、「すごく印象に残っている。その時が最後かな」と星野氏との記憶をたどった。

 絆を深めたのは08年に出場した北京五輪だった。阪神移籍1年目の新井はシーズン序盤から絶好調だった。「元気だな。頼むぞ、オリンピック!」。当時、阪神球団でSDを務めていた闘将の熱い言葉に、新井は武者震いした。星野ジャパンでは4番を任され、予選リーグの韓国戦では同点2ランを放つ活躍。メダルには届かなかったものの、腰痛を抱えながら、星野監督のため懸命にプレーした。

 帰国後に疲労骨折が判明。強行出場の代償は大きかった。それでも悔いはない。「今、考えるとオリンピックで4番を打てたことは自分の野球人生の財産」と言い切る。共に日の丸を背負い、人柄にほれた。「厳しさの中に愛情がある。あの優しい笑顔が忘れられません」。感謝の思いは尽きない。当時を思い返すと、たまらず熱いものがこみ上げた。

 取材対応を終えた新井はその後、バットを携えて球場に隣接する室内練習場へ。悲しみを振り払うように汗を流した。北京五輪から10年を経ても、“星野魂”は健在だ。広島から、快音を天まで届ける。

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