田中広輔手記(1)やっぱり楽しい3度目の球宴
2年連続3度目の球宴出場となった広島・田中広輔内野手(29)が、デイリースポーツに手記を寄せた。今や赤ヘル打線不動の1番打者となった田中。ショートへのこだわり、野球人生の分岐点となった社会人時代などを振り返った。
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デイリースポーツ読者のみなさん、こんにちは。田中広輔です。3度目のオールスター出場。やっぱり楽しいですね。練習前にグラウンドで話した高校、大学の同期・菅野とは野球のことは話さず、世間話をしていました。初めて出た15年はマツダスタジアムで開催され、特別賞をもらったのは思い出です。
オールスターは小さい時もスター選手が出ていたのですごいなあと思って見てました。憧れていた選手は松井稼頭央選手、石井琢朗さん。ショートが格好いいなと思っていたので。父(正行さん。東海大相模時代に遊撃手でプレーし、原辰徳氏の2学年後輩)も内野手で、外野手の選択肢はなかったです。
高校も父の母校で、昔からあの縦じまが格好いいと思っていて入りました。子供の頃は、この時期になると見に行くのも相模の試合でしたしね。門馬監督は恩師ですし、やっぱり高校野球が僕のベースです。野球を辞めたくなったこともなかったです。野球しかやってこなかったですし、やりたいと思ってやってきたことなので。
プロ入りへの分岐点はいろんな縁があって大学、社会人に行ったことですね。僕は早めにプロに行きたいと思っていましたが、それが一番良かったのかなと思います。世界も広がりましたね。
社会人はプロへのいい準備になったと思います。JR東日本では年間100試合以上あって、遠征も多かった。なので体のケアなども社会人で全部やらなきゃなと思ったのが一番です。昔は打てなかったらすごい悩みましたけど、そういったところも社会人で大人になりました。お金をもらいながらやるところもプロと一緒で、プレッシャーの中でやってきました。社名のために頑張らないと、という思いでもやっていました。
社会人入り後の2年でドラフト解禁でしたが、その2年で指名がなかったら社会人で終わってもいいかなとも思ってました。JRもすごいいい会社なので。ただ、野球をやっている以上プロは夢だった。社会人もレベルが高く、その中で2年間結果も出て、プロでもある程度できるという自信にもなりました。(広島東洋カープ内野手)