【床田独占手記1】助言をくれると必ず結果が…父をすごく尊敬しています

 華やかに登場する床田(撮影・金田祐二)
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 「マイナビオールスターゲーム・第1戦、全セ3-6全パ」(12日、東京ドーム)

 初の球宴出場となった広島・床田寛樹投手(24)が手記を寄せた。今季は開幕からローテに入り、17年の左肘のトミー・ジョン手術からの復活星を挙げるなど前半戦は5勝5敗、防御率3・03をマーク。ここまで歩んできた野球人生などを振り返った。

  ◇  ◇

 こんにちは。床田寛樹です。初めてのオールスター出場。17年に左肘をケガしてずっと何もできなかったので、想像もできなかったです。緊張しますね。でもいろんな人が話し掛けてくれました。今永さんからは「大学の時に試合をしたよね」と。藤川球児さんは、僕が無名な若手なのに手術をしていたことを知ってくれていて、めちゃくちゃ感動しました。

 オールスターはトップレベルの人たちが楽しんでやっているイメージ。学生の頃は、投手では杉内(俊哉)さんが好きでした。

 投手はキツい時の方が多かったですが、小学生の時は楽しかったです。野球を始めたのは小1。兄がチームに入っていたからです。他の人より球が速くて、投手をやりました。兵庫県大会のダブルヘッダーでは、2試合連続完全試合もありました。僕の全盛期です(笑)。

 中学では硬球に手間取りました。小学生の時の遠投は約80メートルでしたが、中学では約50メートル。身長が伸びず球も遅くなり、投手は5試合ぐらい。外野で出てました。高校の推薦もなく、一般入試で箕面学園に入りました。

 硬球や距離感に慣れたのは高2。高校入学時に約150センチだった身長が、2年生から一気に170センチぐらいまで伸びたからです。中部学院大では体ができてきて、高校で130キロも出ないぐらいの球速が、148キロまで急に伸びました。そこがプロへの転機だと思います。

 野球をやってきて、父をすごい尊敬してます。小学生の時は調子が悪ければ「外でシャドーピッチングしてこい」などと言われ、「ちゃんと前を向いて投げろ」とも教わりました。アドバイスをもらうと次の日に本塁打を打ったり、完封をしたりとそのたびに結果が出てました。

 本当に野球を辞めたいなと思ったこともありました。高校の時に練習がしんどかったからです。でも親が怖いのと、僕が高校の時に兄が野球を辞めて、父がめちゃくちゃショックを受けていたと母から聞いて。これで僕も辞めたら…と。カープにも入れて感謝しています。父は甲子園での第2戦に来ると言っていたので、見てもらえればなと思います。

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