永川【引退会見一問一答1】カープ一筋17年「やり切った感じ」
広島・永川勝浩投手(38)が23日、マツダスタジアム内で引退会見を行った。ユニホーム姿で会見場に現れ、心境を語った。引退を告げた際の家族の反応は「『もういいんじゃない』という感じでした」と振り返りつつ、「僕自身やりきった感じはあったので」と17年間広島一筋のプロ生活を振り返った。以下、一問一答の要旨(1)。
(自らあいさつ)「広島東洋カープで17年、大学を卒業して野球をやってきましたけど、今年で引退をして17年に区切りを付けたいと思います。今まで応援ありがとうございました」
-いつぐらいから引退を考えていたのか。
「ここ数年はケガもありながら、なかなかいい成績を残せなかったですから、そういうところでいろいろ考えることはありました」
-きっかけは。
「今年に入ってトレーニングをしても体がどこか痛くなったりとか、練習でいいパフォーマンスが出ても試合で出せなかったり。そういうところを総合して心が折れたというところです」
-これまで何度も逆境をはね返してきたが今回ばかりは…。
「そうですね、若い子たちが頑張ってる中で自分がそれと同等以上のボールを投げられなくなってきて、どこかで当然自分も考えないといけないことなので。今回は体をいろいろ考えながら、限界を感じてしまいました」
-周りの反応は。
「家族には7月前ぐらい、6月半ばぐらいには伝えましたけど、反応はそんなに大した感じではなかったので(笑い)。『もういいんじゃない』という感じでしたから、僕自身もやりきった感じはあったので。そういう感じでした」
-思い出は。
「いい思い出と言われたら、1年目から山本浩二監督にクローザーを任せていただいて、そういう道を作っていただいたというのはこの17年間というのはその最初のスタートがあったからこそだと思うので、そういう意味では感謝していますし、いい思い出だと思います」
-広島出身で広島のチームに入団した。
「広島で生まれて、広島で育ってきましたので、広島東洋カープに誘っていただいた時は、ものすごくうれしいというか。プロ野球選手である以上、広島にまた帰って故郷でプレーできるのはすごく良いものと言うと簡単ですけど、そういう気持ちがあったので、広島というところには愛着がありますね」
-165セーブを挙げた。ストッパーの難しさは感じたか。
「僕の場合は何回も失敗を繰り返しながら、いろんな人に迷惑をかけながら助けられてやってきたので、クローザーに対しての難しさというのは感じなかったですけど、本当にここ何年かはどうやったら人に迷惑をかけずに生きていけるんだろうということをよく考えていたので。そういう意味では、クローザーという職にはそこまで難しさは感じなかったですね」
-野球への考え方の変化はあったか。
「本当にいろいろ試行錯誤しながらコーチであったり、トレーナーであったり、時には後輩であったり。そういう方たちに支えられて、いろいろトライしてきましたけど、やっぱりプロの世界はそう簡単なものじゃないなというのは最後の方でつくづく感じました」
-変化を恐れないイメージ。
「昔は結果もそこそこ出てましたし、変化をしなくてもというところはあったと思います。本当にすぐに調子に乗る性格であり、何でも簡単にできると思ってしまう性格なので、ここ数年でいろんな意味で大人にしてもらったし、広島東洋カープに最後まで育ててもらったおかげで今の自分があると思うので、若い子たちには変化していかないといけないというのも伝えていきたいなと思いますね」
-2017年は膝の故障もあった。
「手術してまで契約してもらえるとは思ってなかったので、そこで契約してもらったからこそ、手術をさせてもらったからこそ昨年があったと思いますし、そういう意味ではいろんな人に支えられて、感謝するのは簡単にできますけど、本当にいろんな人に感謝したいと思います」
-優勝、優勝旅行も経験した。
「そうですね…、3連覇している中で、最初の2連覇の時はほぼ結果を出すことができず、昨年もそこまで出したとは言えないんですけど、最後に連れて行っていただいて、僕だけじゃなく、家族がすごく喜んでいましたし。本当に昨年の復帰登板であり、いろいろ印象に残って、周りがすごく、僕が若い時より大人な選手が多くなったと思います」