213勝の基礎をつくった山越えの自転車通学 北別府氏が語る高校時代の思い出
今年の選抜高校野球大会への出場32校が1月29日に発表された。昨年は中止となった聖地での開催が今春は実現できる見通し。デイリースポーツウェブ評論家の北別府学氏も高校時代を振り返りつつ、球児たちにエールを送った。
◇ ◇
私は2年生でエースに抜てきしてもらったけど、結局、甲子園には縁がなかった。よくて九州大会止まりで、その先は遠かった。高校球児の最終目的はやっぱり甲子園出場だろうし、私もそこを目標として練習をしていましたよ。
(北別府氏は鹿児島県曽於郡末吉町=現曽於市の)自宅から県境を越えて宮崎県の県立都城農業高校に進学した)
鹿児島の高校からも何件か勧誘の話があったけど、電車やバスでの通学は本数が少なくて、寮での下宿生活になるということだったからね。それに比べれば都城のほうが行きやすかった。父の出た学校でもあったからね。
(ただし、バスは使わなかった。理由は下半身を鍛えるため)
家から学校まで20キロの道のり。毎日、自転車で通学していました。行きは下りだから楽で1時間ほどで行けましたが、帰りは上りで時間もかかりきつい。しかも帰りは田舎の山道だから真っ暗。でも年々、自転車での通学時間が短縮していってね。知らず知らずのうちに足腰が鍛えられていたんでしょうね。自転車通学、金もかからず環境にも優しい。そして鍛錬になる。いい事ずくめでしたね(笑)
あの当時、ピッチャーは陸上部かと思うくらいずっと走らされたね。そのあと、ちょこっと打撃練習に加わるけど、それが終わるとライト方向にあった3~4人で投げられるほどのブルペンで、ずっと投げていた。毎日、300球。試合の前後を除いてそのペースは変わらない。ノースローなんてなかった。
練習は午後4時に始まって、終わるのは投手が300球を投げ終えたとき。とにかく投球練習をしている限り全体の練習は終わらなかったね。真っ暗な中で球を追っている光景が印象に残ってますよ。それから帰り支度となる訳ですが、部室は小さい事もあって順番待ち。まぁ、昔は上級生が着替え終わるまで外で待つなんていうのが当たり前の世界でしたから。私は自転車なので時間を気にすることもなく、部屋を出るのはいつも最後で午後10時半ごろだったかな。
(話は戻って猛烈投球練習)
本当によく走ったし、よく投げた。しかし、あれほど練習していても試合のあとは肩やひじに張りが出た。練習と試合は違うんだよね。ただ肩ひじを故障したことは一度もなかった。プロ入り後、トレーナーから「筋肉が柔らかいから故障しにくい」と褒めてもらったけど、やはり高校時代の正しい練習の積み重ねのおかげだったと思いますよ。
高校3年間、長い道のりを自転車で走り、そして毎日、投げ続けるうちに理想のフォームが出来上がったんでしょう。プロに入っても、ほとんど投球フォームは変わらなかったね。
私は甲子園には出場できなかったけれど、3年間で得たものが多く貴重な財産となっています。コロナ禍で様々な大会が中止になったりしているけれども、そんな中でも工夫をして技術を伸ばし、心身を鍛えてもらいたい。悔いを残さないためにも日々、時間を大切にしながら練習に励んでほしいと思う。