カープの96年「ビッグ・レッド・マシン打線」と78年「200発打線」凄かったのは…
元中国新聞記者でカープ取材に30年以上携わった永山貞義氏(71)がデイリースポーツで執筆するコラム「野球爺のよもやま話」。広島商、法大でプレーした自身の経験や豊富な取材歴からカープや高校野球などをテーマに健筆を振るいます。
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生まれてこの方、勝負事が大好き人間。こんな気性を反映して前回、1978年のカープ打線について執筆していた際、ふと「96年の打線と対戦すれば、どちらが打ち勝つか」との勝負心が頭に浮かんだ。78年のそれを端的に記すと、球界初の200本を超える本塁打を放ったパワフル打線。片や96年のそれは米大リーグで伝説的なレッズ打線になぞらえた「ビッグ・レッド・マシン打線」。ともに「守りの野球」を重視するカープでは、異質ともいえる野球をした年だった。
78年型については前回、詳しく書いたので、今回は96年型に触れたい。この年は三村敏之監督が登用した金本知憲、緒方孝市が大飛躍。序盤こそは一進一退したが、5月中旬からは別表のように組んだ打線が大爆発を繰り返した。その有り様は「すさまじい」の一言。20点の猛打ショーあり、打ち合った末の粘り勝ちがあって、一気に8点を奪っての逆転劇もあった。こんな相手を力でねじ伏せる野球で7月に入った時点では2位中日と10・5ゲーム差。早々と優勝宣言しても、誰もが唱和するほどの勢いだった。
ところが78年と同様、肝心要の投手陣の手元がおぼつかなかった。それを象徴した試合が7月上旬、札幌での巨人戦の惨劇。二回、エースの紀藤真琴が浴びた8連打を含む9連打、7失点という前代未聞の打たれっぷりに、私もコラムに「マージャンならさしずめ、役満でも最も難しいといわれる『九連宝燈』で上がられたようなものだろう」とあきれて書いたものだった。この歴史的な敗戦をきっかけに、その後はズルズルの一途。最終的には巨人に最大11・5ゲームもつけていた差を長嶋茂雄監督が言う「メークドラマ」によって、逆転優勝を許した末の3位に終わったのである。
こうした悲劇は「打高投低」のチームならではの現象であろう。この失敗例を前書きにするとして、では78年打線-96年打線の対戦はどちらが打ち勝つのか。まず性能を示すチーム打率を見ると、78年が球団歴代最高の2割8分4厘、96年が同2位の2割8分1厘をマークしている。得点は78年が130試合制で球団最多の713点、96年が同2位の670点。1試合平均にすると、78年が5・48点、96年が5・15点だから、この勝負は78年にやや軍配が上がる。ただ96年は前年、アキレス腱を断裂した前田智徳の復帰が5月と遅れたほか、江藤智が8月末、顔面に打球を受け、以後は欠場。野村謙二郎も夏場以降、足の故障を抱えての出場で得点能力は落ちていたから、ほぼ互角と見てもよかろう。
ここで注目したいのが両年メンバーの通算成績。2000安打以上が78年組は衣笠祥雄、山本浩二、96年組は金本、前田、野村。1500安打以上が78年組は高橋慶彦、水谷実雄、96年組は正田耕三、江藤、緒方が放っている。これほど実績を残したメンバーで組まれた打線は、球史の中でもまれだろう。さらに別表のように78年はライトル、ギャレットと捕手の水沼四郎も好成績。96年はロペスが打点王を獲得したほか、西山秀二も捕手では球団最高打率の3割1分4厘をマークし、打線に花を添えている。
球界全体で見渡すと、近年ではバース、掛布雅之、岡田彰布を中心とした阪神の「ニューダイナマイト打線」(85年)、ローズ、中村紀洋が主軸だった近鉄の「いてまえ打線」(01年)、高橋由伸、小久保裕紀、阿部慎之助、ペタジーニらで組まれた巨人の「史上最強打線」(04年)が名高いが、これらと比較しても、78年、96年の打線は遜色ないだろう。
その破壊力をいま一度、懐かしみながら、今年のカープ打線に思いをはせている今日この頃。大砲候補のクロンの加入や若手の成長など好材料がめじろ押しとあれば、期待してもいいシーズンのようである。
(元中国新聞記者)
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【1996年】
名 前 打率 本 点
(9)緒方 孝市 .279 23 71
(4)正田 耕三 .235 2 35
(6)野村謙二郎 .292 12 68
(5)江藤 智 .314 32 79
(8)前田 智徳 .313 19 65
(3)ロペス .312 25109
(7)金本知憲 .300 27 72
(2)西山 秀二 .314 3 41
(1)----
チーム成績 .281 162 642
【1978年】
名前 打率 本 点
(6)高橋 慶彦 .302 7 42
(4)木下 富雄 .283 3 27
(9)ライトル .296 33108
(8)山本 浩二 .323 44112
(3)水谷 実雄 .348 25 75
(7)ギャレット .271 40 97
(5)衣笠 祥雄 .267 30 87
(2)水沼 四郎 .271 17 46
(1)-----
チーム成績 .284 205 692
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永山貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商高-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商高時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。元阪神の山本和行氏は一つ下でエースだった。