広島・鈴木誠「超一流」への挑戦 パーフェクト打撃を目指して2度目の「守破離」
元中国新聞記者でカープ取材に30年以上携わった永山貞義氏(72)がデイリースポーツで執筆するコラム「野球爺のよもやま話」。広島商、法大でプレーした自身の経験や豊富な取材歴からカープや高校野球などをテーマに健筆を振るう。
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カープの現場から離れて10年。それまで赤ヘル野球を見ていた仕事用の目は、次第に勝ち負けに一喜一憂するファン用にすり替わっていったが、今年の目線はまた違う。鈴木誠也が打撃改造をしているとの報道に春季キャンプ以来、球児に戻った目で、そのバッティングに目を凝らしている。
当初、伝えられたところによると、これまで上からたたいていたスイングを下からすくい上げるように修正したという。シーズンに入ると、従来型を主体に打っているようだが、16日の中日戦(バンテリン)で放った3ランが下からかち上げた新打法のように見えたのは、こちらの目が節穴だったからだろうか。いずれにせよ、元球児は今年の鈴木のバッティングを自分のそれと置き換え、その行き着く先を研究として見ているのだ。
このモデルチェンジの報道を最初に目にした時、将棋の谷川浩司九段の座右の銘がすぐさま浮かんだ。17世名人でもあるこの希代の名手は、色紙に「守破離」(しゅはり)と揮毫(きごう)しているという。これは茶道や武道などの修行プロセスを表す用語のようである。
その意味を翻訳すると、芸や技を身につけるには、師匠や流派の教えた型を守るのが第一歩。次には守ってきた既存の型を破り、よりよいものを採り入れて発展させる。そして最後は師匠や流派から離れ、独自のものを確立する。蛇足として述べると、一つの流派をつくり得る者が「一流」で、そして仏教用語でいう「立派」になると、自分では勝手に解釈している。
こうした過程はまさに、ここまで鈴木が歩んできた道ではないのか。まず頭角を現した翌年の2016年1月、より高みを目指して、内川聖一(当時ソフトバンク)の合同自主トレに参加。ここで何を学んだかは知らないが、「内川流」の極意を守ったに違いない。打席での構えや球を待ち受ける間合いなど、師匠にそっくりになったと記憶している。
同年、「神っている」と自ら称した打撃でブレークすると、次の「破」の段階では、左足のいろんな上げ方など独自技を多用。19年には打率3割3分5厘をマークし、首位打者を獲得している。
そして20年1月の自主トレからは「内川塾」を離れ、堂林翔太、野間峻祥、曽根海成らとともに実施。これを「鈴木流」による「鈴木一派」の立ち上げと捉えれば、この時点で鈴木は「立派」で、かつ「一流」を見なされたはずだった。
「?」と思ったのは、これほどの打者がその技をまた破ろうとしたからである。この疑問については、「落合博満のバッティングの理屈」(ダイヤモンド社)を読むと解答のようなものが見えてくる。この中で落合さんは「常にパーフェクトを求めよ」と言った。落合流のパーフェクトとは「三振をしない技術を身につけ、全打席で本塁打を放つこと」。その意味では、かつて「打率10割、200本塁打、1000打点」との目標を口にした鈴木の目指すところも同じだろう。ただ、そこまでに至るまでの技術の修練は理想論ではなく、現実論で求めなければ意味がないと落合さんは説いている。この説を借りれば、鈴木が今、模索しているのは、この現実論に即してのパーフェクト打撃なのではないのだろうか。
確かに現在は投じられた多くの球が縦とか、横とかに動く時代である。こうした状況下、鈴木が試みたアッパースイングは理にかなった打法。また「安打、長打になる確率は、ゴロより外野フライを打つ方が上回る」とのデータから米大リーグで流行している「フライボール革命」にも、最新の現実として目を向けているのかもしれない。まだその打法は試行錯誤しているような段階に見えるが、再度の「守破離」ともいえる鈴木のこの挑戦が奏功すれば、「超一流」として世間から認識されることだろう。
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永山貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商高-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商高時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。元阪神の山本和行氏は一つ下でエースだった。