かつて広島の中心選手が取っ組み合い寸前のケンカ 止めたのは監督 北別府氏が回想
東京五輪野球では、日本代表「侍JAPAN」が、準決勝に進出。4日に韓国と決勝進出をかけて戦う。プロのトップ選手を集めたチームだが、両雄並び立たずという言葉がある。かつて広島カープでも何かにつけて衝突する若者がいた。高橋慶彦氏と北別府学(デイリースポーツウェブ評論家)氏。野手と投手のリーダー格としてバチバチと火花をちらし、一触即発状態の2人の間に入って仲裁したのが当時の監督、阿南準郎氏だった。以下は北別府氏の回想だ。
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喧嘩のきっかけは些細なこと。旧市民球場の三塁側ベンチ前で、投手陣がバント練習をしていたとき、高橋さんにふざけてちょっかいを出されたことがあってね。
ムキになることもないのに、冗談の通じない私と取っ組み合いになりかけて、止められたことがあったんですよ。当時監督だった阿南さんに。大した原因でもないのにね(笑い)。
そのころはお互いにチームを引っ張っていく責任があって、何かにつけて衝突していたね。慶彦さんは野手を代表する立場、私は投手を代表する立場で。
特に山本浩二さんや衣笠さんが引退されたあとは、リーダー意識がより強くなっていったと思う。
衝突するそもそもの理由は、投手陣が出す四球にあったんです。なんでフォアボールを出すんだ!という感じでマウンドまで来て若い投手を叱る。
試合中に先輩から叱られたら、ますますストライクが入らなくなってしまう。だから私も黙ってはおれず、若い子たちの代わりに言い返すことがあったんです。
あなたも元投手なんだから、投手の気持ちは分かるでしょ。出したくて出してるわけないじゃないですかってね。
慶彦さんの言い分は分かる。バックを信頼して打たせろ。そういうことだったんだけどね。今思えば慶彦さんの気持ち、ありがたいことだったけどね。
まあ2人とも負けん気が強くてね。こっちは体でボール止めてんだ!こっちだって腕一本で勝負してるんだ。なめんじゃねえよって。
お互いに自分を曲げようとしない性格。でも曲げていたら、今の自分はないとも思うしね。そういう気持ちがあったから一緒になってチームを引っ張れたのかもしれない。
投手からすると守ってもらい、点を取って助けてもらわないといけない受け身の立場。お互いにリスペクトする気持ちはあったと思うけど、当時はまったくそれを出せなかったというか、言葉にして言ったことがなかった。
ユニホームを脱いだあとはごく普通ですよ。当時の関係を知っている方が、2人のトークショーをやったら絶対に面白いからと企画して、打ち合わせがてら食事をしようとなった時に、私が闘病生活となってしまった。
YouTubeをやってるようだけど、好評みたいで、うちの息子たちもよく視聴しているらしいです。
元気にされているのは何よりだね。私が完全復活したら、絶対に会わなきゃいけませんね。