広島・新井監督はどうすれば上達するか“教えられた子”恩師・駒大野球部 太田誠終身名誉監督がエール
広島・新井貴浩監督(46)が指揮官として初のペナントレースに臨むにあたり、大学時代の恩師で駒大野球部の太田誠終身名誉監督(86)がエールを送った。大学野球の名将は新たにチームを束ねる教え子の戦いぶりに期待を寄せつつ、思い出を振り返った。
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初めて新井監督と顔を合わせた日のことを太田氏は鮮明に覚えている。大学入学前。「とにかく投げること(スローイング)ができないなと思ったな」と冗談交じりに語りながら「そんなことより、非常に大きな体でさわやかに、互いに心を通わすことができた」と懐かしんだ。
守備に就けば何度も失策し、三振も多かった。だが「一度も嫌な顔をしなかった。『さあ、もう一丁!』と自然にそういう言葉が出てくる。使いたくなるんだ。ベンチに置きたくなるんだよ」。素直で実直な性格に不思議と引きつけられた。
新井監督は現役時代の2004年12月に結婚。広島での結婚式に出席した太田氏は、その移動中の新幹線で数奇な夢を見たという。
「車内で眠り、もう少しで広島を通り抜けるところだった。その眠っている時、新井が本塁打王になった夢を見たんだ。それを結婚式の祝辞で話した。そしたら翌年、本塁打王だ」。翌2005年に43本塁打。初のタイトル獲得が実現し「正夢だったね」と笑った。
秀でた能力があったわけではない。不器用な男が16年には2000安打を達成し、リーグMVPにも輝いた。「新井と接してコーチ陣も苦労しただろう。だけど、その人たちも一緒になってたくさん新井に学んだ。みんな『新井のおかげ』なんだよ。こっちは教えられたんだ。どうすれば上達するかを。だから教え子と言いにくくなるね。“教えられた子”だよ。それが素直な心」と、本音で若き日の足跡を振り返った。
“教えられた子”は今季から指揮官になった。「情を持った、人を信じる熱情の男。彼を形容する場合、いろんな驚きがあった。いい驚きだよな。まだ、こちらが驚きそうなことをやりそうな気がするんだ」。苦しく過酷な監督業。その奮闘を優しいまなざしで見守る。
◇太田誠(おおた・まこと)1936年5月20日生まれ。静岡県浜松市出身の86歳。浜松西から駒大に進み、電電公社に入社。電電東京野球部では中心打者として活躍。1971年春から駒大野球部監督に就任。監督通算501勝、リーグ優勝22回など数々の偉業を残し、2005年秋に勇退。35年間の監督生活では中畑清、森繁和、白井一幸、野村謙二郎らをプロへ輩出した。現在は駒大野球部終身名誉監督。