北別府学氏が死去 壮絶な闘病生活もカープ、大谷の活躍励みに 小田和正の歌声に反応も力尽きる

 北別府学さん
3年連続で開幕戦勝利を挙げた北別府さん=1984年4月
200勝をマークし、達川(左)から花束を贈られる北別府さん=1994年7月
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 元広島投手の北別府学氏が死去したことが16日、分かった。65歳だった。

 長い闘病生活の末、広島のレジェンドが旅立った。北別府学氏のブログが更新されたのは5月24日。妻の広美さんが代筆し、「主人の退院が延期になってしまいました」と報告していた。

 病魔との闘いが公になったのは20年。成人T細胞白血病を公表し、末梢血幹細胞移植(骨髄移植)を受けた。「解説者としてカープの日本一を見届けるために必ずや復活します」。壮絶な治療も、現役時代と変わらぬ不屈の闘志で白血病を克服してみせた。

 ただ、移植患者にみられるGVHD(移植片対宿主病)の症状をたびたび発症。2月、免疫力低下により帯状疱疹を罹患してからは、本人によるブログ更新もストップした。

 24日、広美さんは「移植の生着後、GVHDとの闘いで様々な症状が次々と襲ってきて的確な治療をして頂き乗り越えてきましたが、今回は中々手強いようです。実は、血管も脆くなっていましてその治療に当たって頂いています」と説明。一方で、「主人は眠っている事が多く、幸いな事に苦しみの表情はあまり見せません。主人が1番反応するのは家族の声ではなく、小田和正さんの歌声です。目を開けてうっとり聴いている様な穏やかな顔つきになり私まで嬉しくなります」と様子も明かしていた。

 6月12日に広美さんが更新したブログには「もうすぐ父の日だよ、がんばれ!!」と題し、「父の日よりずっと前に子供達が父親のために用意してくれていたもの」として、黒の革張りのリクライニングチェアーの写真を添え、「父親をここに座らせてあげたいという思いの詰まった椅子 この椅子に座れなくとももう一度帰宅させてあげたいという思いで毎日、拭いています」とつづっていた。

 3年以上、病魔と壮絶な闘いをしながらも、カープや大谷の活躍を何より楽しみにしていたという北別府氏。野球人として生き続けた65年の生涯だった。

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