「ペイさん、立派な“完投”です」家族のために最後まで戦った北別府さん 元担当記者が追悼
広島のエースとして活躍した北別府学氏=デイリースポーツウェブ評論家=が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳の若さで天国へと旅立ったレジェンド右腕。同氏と親交のあった元担当記者が早すぎる別れを悼んだ。
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ずっと消せずに履歴に残したままの携帯受信メールがある。
『ご心配をおかけして申し訳ありません。完治を目指して頑張る所存です!』
『元気になったらグランドで会いましょう。よろしく。』
最初のは2020年1月21日。入院された日に「200勝投手が病気に負けるはずがない。ペイさん、がんばれ!」とメールした直後の返信。後者は退院祝いメールへの返信で日付は同年の7月12日となっている。
「きのうはありがとうね。いや、ほんと楽しかったよ」と翌日に感謝されたことがある。十数年以上前の10月末ごろだったか。安仁屋氏の伝手(つて)で福岡県飯塚市内へ北別府氏らと焼き肉店へ行ったときのことだ。
安仁屋氏と親しい元プロ野球選手の方のお店。そこへ後援会関係でもあり、当時の武蔵川親方(元横綱三重ノ海)と武蔵丸、武双山ら部屋の力士らが来ていた。安仁屋氏は、ゲストとして北別府氏を誘っていたのだ。
私は、元相撲担当記者でちょうどいい、とメンツに加えられていた。2軒目は両氏、親方とスナックへ。最初は、面識のない元横綱と名球会投手の間を、せんえつながら私が取り持つ形になった。
親方について「稽古場では日本一怖い親方です」。微笑しながらウケるペイさんについては「あんなに狭い本拠地(広島市民球場)で200勝もした大投手です」と説明した。その後、2人で気さくに談笑もしていた。
後日、ペイさんはこう話していた。「わしは選手のときからチームメートや、他のスポーツの人と食べたり飲んだりとかは、ほとんどなかったからね」
社交面では不器用だったと聞く。超一流ゆえ周囲との接し方の難しさ、孤高の寂しさもあったのだろう。
投手コーチ時代の試合後。「明日の先発は横山、黒田どっちでしたっけ?」。私のおとぼけの質問にお約束のボケで返してくれた。「明日はヨコ(横山)が中5日…って言うわけないじゃん!」
深夜2時、酔って間違えて電話したこともある。「起きてました?」「寝てましたけど大丈夫です」。なぜかペイさんは丁寧語で、全く怒らなかった。
04年、デイリースポーツ評論家を依頼したときは「わしなんかでいいの?」と謙虚でびっくりした。人によっては誤解される面も時折あったのだろうが、私には気さくに接してくれた。
ならばメールの約束も守られると信じていた。でも、ご家族のために最後まで全力で病気と闘った、それだけで胸を張ってください。早すぎるけど、あえて言います。ペイさん、立派な“完投”です。こちらこそ、ありがとうございました。(デイリースポーツ00~04年広島担当・河上俊明)