元広島のエースで名球会投手の北別府学さん安らかに 白血病ほか次々に襲いかかる病魔との死闘に終止符

 3年前の入院前に家族全員で写真を撮ったもの。右から2人目が北別府さん
 野球解説者としての復活に闘志を燃やした北別府学さん
 1994年9月、シーズン限りでの引退を決め、広島ナインに胴上げされる北別府学さん=広島
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 広島のエースとして活躍し、球団初の200勝投手となった北別府学氏=デイリースポーツウェブ評論家=が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳だった。2020年に成人T細胞白血病(ATL)を公表し、末梢(まっしょう)血幹細胞移植を受けた。昨年6月下旬には敗血症にかかっていることを妻・広美さんが明かしていた。白血病を起因とする長い闘病生活の末、息を引き取ったレジェンド右腕。デイリースポーツウェブ評論家担当が、その早すぎる死を悼んだ。

  ◇  ◇

 5月下旬。広美夫人から知らせがあった。退院予定だった北別府さんの体に異変が起きたという。今度は脳内出血だった。

 成人T細胞白血病、敗血症、人工透析…60歳を過ぎて待っていたのは病苦との格闘だった。骨盤骨折、頭部裂傷。歩行には危険が伴うため車椅子に頼らざるを得ない。あの213勝の大投手が…それはもう痛々しいばかりだった。

 現役の時から鼻っ柱が強かった。どんな相手を前にしても逃げない。とりわけ敵対心を大事にした。緊張感と集中力を保つため、家に帰ってもマウンド上と同じ北別府学であり続けた。家族のために投げているのに、一家団欒とは無縁の生活を送った。

 人を寄せつけない空気感は独特だった。だから「衣さん」「浩二さん」とは言えても、「ペイさん」と愛称で呼んだことは一度もなかった。

 あれから40年近くになる。ここ数年は、お互い野球評論家と聞き手に立場が変わっていることもあって、信じられないぐらいよくしゃべった。1時間を超える長電話で熱弁を振るうこともあった。

 白血病の移植後に現れる拒絶反応に苦しみながらも週1度の取材には律儀に応じ、現役時代を埋め合わせるかのように“投手論”について、じっくりと語ってくれた。

 3年前の春、白血病で入院する直前。「もうこんな時間を過ごすことはできなくなるかもしれない」との思いから家族全員で写真を撮ったという。澄みきった空に小さな雲。川べりに立ち、同じ方向を見つめる家族みんなの後ろ姿が印象に残る1枚だった。

 大黒柱北別府学は命が尽きるまで逃げずに戦い続けた。病魔という得体の知れない敵を相手にしても、これを貫き通した。何という強い人だ。

 念願だった実況解説の現場復帰を果たせず無念だったと思う。しかし、家族の献身的な支えと絆の深さには心打たれるものがあった。悲しくもあり、うらやましくもあり。今はこの二つの思いが交錯している。(デイリースポーツ・宮田匡二)

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