「あのカープを優勝させた人じゃね」 語り継がれる黒田博樹氏の献身と反骨心 野球殿堂入り

 野球殿堂入りが決まった谷繁元信氏(左)と黒田博樹氏(撮影・佐藤厚)
 2015年3月 広島への復帰後最初の登板でガッツポーズする黒田
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 野球殿堂博物館の表彰委員会は18日、今年の野球殿堂入りのメンバーを発表し、競技者表彰のプレーヤー表彰として、広島や米大リーグで活躍し、日米通算203勝を記録した黒田博樹氏(48)と、プロ野球歴代最多の通算3021試合に出場した元中日監督の谷繁元信氏(53)を選出した。特別表彰は長く審判員を務めた故谷村友一さんが選出された。

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 エースとは…取材で接した15、16年だった。200勝に悲願の初優勝、涙の引退。限りある日々の中で度々、黒田氏のエース像を口にした。「僕個人の考えで古いかもしれない」。前置きし、意見を押しつけることはないが、「先発完投」と答えには迷いなかった。

 「いまの野球は分業制。だからこそエースが完投して、リリーフを休ませてあげる。それがチームの力になる」。エースの階段を上り始めた00年代前半、マウンドに立ち続けることで信頼を得た。ファンの心も揺さぶった。引退理由も、完投できなくなったからだ。

 広島復帰後のある試合。頭上を襲う打球に右手を出したことがあった。それを知ったイチロー氏から「引っ込めるクセを付けとこう」というメールが来たが、「僕が手が出なくなったら野球を辞める時」と言った。ドジャース時代には頭部に打球を受けた翌戦のこと。朝起きても骨がズレている感覚があった。それでも「日本人がナメられてたまるか」とマウンドに上がった。耐えて勝つ-の言葉通りに生きた野球人生だった。

 「1球の重み」と表現し、20億円超のオファーを蹴って古巣に復帰した。チームに対する献身と、野球に向き合う反骨心。黒田氏にとって野球殿堂入りの偉業は、カープでしか成し得なかったと断言できる。輝かしい記録と記憶とともに、チームに、そして広島の街に語り継がれる。「黒田?あのカープを優勝させた人じゃね」-と。(15、16年広島担当・デイリースポーツ・田中政行)

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