86年・広島優勝監督の阿南氏が死去 現役時代は堅守の内野手、89年フロント入り球団本部長など歴任

 広島は31日、球団OBで元監督の阿南準郎氏(本名潤一)が30日に死去したと発表した。86歳だった。通夜・告別式は近親者のみで執り行われた。阿南氏は1956年に広島入団。86年には監督としてチームを6度目のリーグ優勝に導いた。89年にフロント入りすると、常務取締役球団本部長兼連盟担当などを歴任した。

 長きにわたってカープを支えた偉大なOBが、天国へ旅立った。阿南氏は1956年に入団し、主力の内野手としてプレー。堅実な守備力が武器のユーティリティープレーヤーとして、チームに欠かせぬ存在となった。

 68年に近鉄へ移籍、74年にコーチとしてカープに復帰する。75年には名将・古葉竹識氏が1軍監督に昇格すると同時に1軍コーチとなり、球団初のリーグ優勝に貢献した。

 86年には勇退した古葉元監督の後任として監督に就任。後半戦突入時点で首位・巨人には5・5ゲーム差を付けられていたが、北別府、川口、金石、長冨ら強力な投手陣を武器に僅差の接戦を勝ち切り、9月23日にマジック14が点灯。そのまま逆転優勝を飾り、就任1年目で栄冠をつかんだ。 日本シリーズでは西武と対戦。第1戦は延長十四回引き分けで、その後は3連勝で日本一に王手をかけたものの、頂点にはあと一歩、及ばなかった。日本シリーズ史上初めて第8戦が実施されるなど、第二次黄金期の幕開けとも言われる西武と互角に渡り合う戦いを演じた。

 88年に監督を勇退し、翌年からは常務取締役球団本部長兼連盟担当などを務めた。指揮を執った3年間でチームは全てAクラス。選手、監督、フロントマンとしてカープに尽力した功績は決して色あせることなく、後世に受け継がれていく。

 ◇広島・松田元オーナー「監督も(球団)代表も務めてもらった。まじめで正しいことをきっちりと行う、抜かりなく丁寧な方。球団にとって得がたい人だった」

 ◇元広島監督・山本浩二氏「優しい監督だった。1986年はこちらも現役最後の年だったし、キヌ(衣笠さん)と2人で思い切って、気持ちのいいようにさせてもらった。コーチとしては面倒見のいい人。性格も穏やかだった」

 ◆阿南 準郎(あなん・じゅんろう=本名・阿南潤一)1937年9月2日生まれ、大分県出身。現役時代は右投げ右打ちの内野手。佐伯鶴城から56年に広島入団。複数のポジションをこなす好守備でチームを支えた。64年に「準郎」に改名。68年に近鉄移籍。70年に現役引退。71年から近鉄1軍守備コーチなどを歴任。74年に広島に復帰し75年に球団初のリーグ優勝に貢献。86年に監督就任しリーグ優勝。88年に勇退してからは球団本部長などを歴任。現役通算は1415試合で打率.218、34本塁打、254打点。監督通算成績は390試合で203勝163敗24分け、勝率.555。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

広島カープ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(野球)

    話題の写真ランキング

    写真

    デイリーおすすめアイテム

    リアルタイムランキング

    注目トピックス