震災時の開幕日騒動、WBC監督問題…ファン、選手を裏切ったコミッショナー
【2013年6月17日 デイリースポーツより】
多くの野球ファンは「やっぱりそうだったか」と妙に納得できたことだろう。今年のプロ野球は去年と比べてボールが「飛んでいる」シーンを再三見てきたからである。これまで日本野球機構(NPB)側は、低反発の「統一球」に変えた2011年シーズンから「変わらない基準」と言い続けていた。ところが、6月11日に突然、NPBの下田邦夫事務局長が「今季から反発力を高めていた」事実を認めた。
これに対して加藤良三コミッショナーが「私は知らなかった。これは不祥事ではない」と発言して大騒動に発展。14日になって「迷惑をかけたことは大失態だった」とファン、選手、球団に謝罪したが、自らの責任問題はあいまいなまま。今後は第三者機関を設置して調査することになった。7月のオーナー会議でもことが大きくなることはないだろう。折しも、全日本柔道連盟のトップが次々と起こる不祥事に辞任を示唆しながら居座っていて、対処の仕方が問題になっている。「プロ野球よ、お前もか」である。
▽国際試合対策は不発に
そもそも「統一球」にしたのはなぜかと思っていた。国際試合での違和感をなくすのが目的とされ、加藤コミッショナーの肝いりで導入された。しかし、今年2月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で選手は米国製ボールに対応できず、導入の効果はほとんどなかった。世界的に統一するなら、力関係からいって日本は米国製を普段から使用するしかないだろう。日本の統一球は世界的なスポーツメーカーのミズノ製。百歩譲ってこの日本製の優秀なボールを世界の統一球にするというなら、積極的な世界戦略が求められるが、日本球界にそんな形跡はない。
▽統一球導入は経済的側面からか?
かつてプロ野球の各球団がそれぞれの違うメーカーのボールを公認球として使用していた。裏を返せば、大小さまざまなスポーツ用品メーカーがプロやアマ野球を支えていたのである。16日に終了した全日本大学野球選手権では、7社ほどの球を公認球として使っていたのはそんな事情があるからである。なんら不都合は起きていない。プロ野球がミズノ製に統一したのは「球団間の公平性を求めた」からだとも言われているが、果たして過去の球界の歴史を踏まえた議論を重ねた結果だろうか。NPBにはミズノから独占契約料が入るだろうし、普通は1個1100円ぐらいする硬球を900円を切る値段で安く購入できる。経済的側面を優先したのが導入の理由ではないかと思いたくなる。
▽無視できない選手会の存在
私は今回の騒動を見ていて痛感したのがプロ野球選手会の存在である。飛ぶボール問題発覚はNPBと選手会との「協議会」で出てきた。「ボールの反発力はどうか」と、選手会側が疑問を呈したのが発端だった。成績によって年俸が左右される選手にとって、球が飛ぶか飛ばないかは大問題である。さらに発覚後の選手のコメントは昔とは違うものだった。かつては自分のことしか関心を示さなかった選手たちが球界の問題として捉え、発言していたからだ。
選手会は2004年の球界再編問題で初のストライキをやって以来、その意識は高くなっている。昨年から今年にかけてのWBC参加問題でイニシアチブを取ったのは記憶に新しい。有力球団の実力者が切り捨てようとした「たかが選手ごときが」の感覚では、もはや球界運営は成り立たない時代になっている。
▽官僚的体質では限界
加藤コミッショナーの官僚的体質も球界運営上、限界が見える。08年に第12代コミッショナーに就任した加藤氏は昨年の3期目改選ではなかなか12球団一致の賛同を得られなかった。
2年前の東日本大震災時のプロ野球開幕日をめぐる失態。統一球導入後の見直しをという声に「朝令暮改はしない」とかたくなな態度。そしてWBC監督選任をめぐる迷走ぶり。大リーグへの選手流失を抱えるプロ球界の指針を示すと言いながら一向に具体策が聞こえてこない。駐米大使を務め米国野球通を自認する加藤コミッショナーが無類の野球好きなのは分かるが、多様化するスポーツ界にあって、プロ野球人気が長期低落傾向にある中、危機感を持って対応すべき時期だと思うが、リーダーシップは発揮されず、すべては“他人任せ”なのだ。
▽ファンの目線に立て
加藤氏が尊敬し、仲人をしてもらった同じ駐米大使で第7代コミッショナーの故下田武三氏は「飛ぶボール、圧縮バット」禁止、球場の国際規格化、指名打者制の日本シリーズ導入など、多くの球団オーナーに反対されながら断行した。その下田氏は「コミッショナーは両リーグ(球団)の上に乗っかかるのではなく、ファンの目線に立たなければいけない」と言った。加藤コミッショナーが下田氏のこんな姿勢を知らないわけがないだろう。
田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル
1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。
ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆
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多くの野球ファンは「やっぱりそうだったか」と妙に納得できたことだろう。今年のプロ野球は去年と比べてボールが「飛んでいる」シーンを再三見てきたからである。これまで日本野球機構(NPB)側は、低反発の「統一球」に変えた2011年シーズンから「変わらない基準」と言い続けていた。ところが、6月11日に突然、NPBの下田邦夫事務局長が「今季から反発力を高めていた」事実を認めた。
これに対して加藤良三コミッショナーが「私は知らなかった。これは不祥事ではない」と発言して大騒動に発展。14日になって「迷惑をかけたことは大失態だった」とファン、選手、球団に謝罪したが、自らの責任問題はあいまいなまま。今後は第三者機関を設置して調査することになった。7月のオーナー会議でもことが大きくなることはないだろう。折しも、全日本柔道連盟のトップが次々と起こる不祥事に辞任を示唆しながら居座っていて、対処の仕方が問題になっている。「プロ野球よ、お前もか」である。
▽国際試合対策は不発に
そもそも「統一球」にしたのはなぜかと思っていた。国際試合での違和感をなくすのが目的とされ、加藤コミッショナーの肝いりで導入された。しかし、今年2月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で選手は米国製ボールに対応できず、導入の効果はほとんどなかった。世界的に統一するなら、力関係からいって日本は米国製を普段から使用するしかないだろう。日本の統一球は世界的なスポーツメーカーのミズノ製。百歩譲ってこの日本製の優秀なボールを世界の統一球にするというなら、積極的な世界戦略が求められるが、日本球界にそんな形跡はない。
▽統一球導入は経済的側面からか?
かつてプロ野球の各球団がそれぞれの違うメーカーのボールを公認球として使用していた。裏を返せば、大小さまざまなスポーツ用品メーカーがプロやアマ野球を支えていたのである。16日に終了した全日本大学野球選手権では、7社ほどの球を公認球として使っていたのはそんな事情があるからである。なんら不都合は起きていない。プロ野球がミズノ製に統一したのは「球団間の公平性を求めた」からだとも言われているが、果たして過去の球界の歴史を踏まえた議論を重ねた結果だろうか。NPBにはミズノから独占契約料が入るだろうし、普通は1個1100円ぐらいする硬球を900円を切る値段で安く購入できる。経済的側面を優先したのが導入の理由ではないかと思いたくなる。
▽無視できない選手会の存在
私は今回の騒動を見ていて痛感したのがプロ野球選手会の存在である。飛ぶボール問題発覚はNPBと選手会との「協議会」で出てきた。「ボールの反発力はどうか」と、選手会側が疑問を呈したのが発端だった。成績によって年俸が左右される選手にとって、球が飛ぶか飛ばないかは大問題である。さらに発覚後の選手のコメントは昔とは違うものだった。かつては自分のことしか関心を示さなかった選手たちが球界の問題として捉え、発言していたからだ。
選手会は2004年の球界再編問題で初のストライキをやって以来、その意識は高くなっている。昨年から今年にかけてのWBC参加問題でイニシアチブを取ったのは記憶に新しい。有力球団の実力者が切り捨てようとした「たかが選手ごときが」の感覚では、もはや球界運営は成り立たない時代になっている。
▽官僚的体質では限界
加藤コミッショナーの官僚的体質も球界運営上、限界が見える。08年に第12代コミッショナーに就任した加藤氏は昨年の3期目改選ではなかなか12球団一致の賛同を得られなかった。
2年前の東日本大震災時のプロ野球開幕日をめぐる失態。統一球導入後の見直しをという声に「朝令暮改はしない」とかたくなな態度。そしてWBC監督選任をめぐる迷走ぶり。大リーグへの選手流失を抱えるプロ球界の指針を示すと言いながら一向に具体策が聞こえてこない。駐米大使を務め米国野球通を自認する加藤コミッショナーが無類の野球好きなのは分かるが、多様化するスポーツ界にあって、プロ野球人気が長期低落傾向にある中、危機感を持って対応すべき時期だと思うが、リーダーシップは発揮されず、すべては“他人任せ”なのだ。
▽ファンの目線に立て
加藤氏が尊敬し、仲人をしてもらった同じ駐米大使で第7代コミッショナーの故下田武三氏は「飛ぶボール、圧縮バット」禁止、球場の国際規格化、指名打者制の日本シリーズ導入など、多くの球団オーナーに反対されながら断行した。その下田氏は「コミッショナーは両リーグ(球団)の上に乗っかかるのではなく、ファンの目線に立たなければいけない」と言った。加藤コミッショナーが下田氏のこんな姿勢を知らないわけがないだろう。
田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル
1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。
ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆