山下智茂氏×智弁和歌山・高嶋監督対談【1】お遍路で得た“生き返る言葉”
星稜名誉監督の山下智茂氏(73)が今春のセンバツで準優勝した智弁和歌山の高嶋仁監督(71)を和歌山市内の同校に訪ねた。甲子園で春夏通算最多の68勝(34敗)を挙げた名将から、お遍路の経験で得た教訓など数々の逸話を聞いた。今年100回の節目を迎える夏の甲子園。同時代を歩んだ2人のスペシャル対談を3回にわたってお届けする。
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山下智茂氏(以下、山下)「高嶋さんは37回甲子園に出られて、私とは(智弁学園時代の)一度だけですね。昭和52年の8月8日。智弁が山口哲治(元近鉄)、うちは小松辰雄(元中日)。優勝候補の対決と言われ、うちは後攻で一、二回に1点ずつ取られて1-2で負けたんです」
高嶋仁監督(以下、高嶋)「小松はものすごく球が速かった。でも、あの試合前、ブルペンで全力投球してなかったでしょう?(強い球を投げていなかったのは)捕手がミットを持ってなかったのかなと思いました」
山下「実は宿舎に忘れてきてたんです。さすが名将。まさか気づいていたとは」
高嶋「全力投球してなかったことには気づきました。それで勝負は前半やと。あの頃は若造で必死。どうしたら勝てるかと穴を探すのが精いっぱい」
山下「お互い熱血漢でしたね」
高嶋「昔は朝9時から昼飯も食べずに夕方5、6時まで平気でノックしてました」
山下「東邦の阪口監督(現大垣日大)が、高嶋さんは練習試合でも早朝から練習して疲れさせてから試合だと驚いていました」
高嶋「6月の追い込みに入ると、朝10時から名古屋で練習試合なら学校を3時頃に出て6時半頃に着いて2時間ランニング。それからノックをやって試合。疲れて最悪の状態をつくるんです。それで勝てれば、コンディションがよい時は勝てるということです」
山下「夏の県大会中も追い込むようですが、甲子園の決勝に合わせるんですか」
高嶋「(県大会のある)紀三井寺から帰って練習します。1カ月半で12連勝したら全国優勝。その体力と気力を養うんです。今はやりませんが、僕にとっては100メートル100本走ってから試合をするのは当たり前。それでへたるなら甲子園で優勝できない。甲子園に行けば2時間の練習だからだんだん体が楽になり、バットが振れて飛ぶようになる。なので負ける時は1、2回戦が多いです」
山下「心を鍛えるんですね」
高嶋「(褒めて)育てるのは大事だけど強くはならない。苦しんだ分だけ強くなり、勝つ喜びも倍になる。うちの選手にとって練習が短い甲子園は天国。それでも、宿で夜2時くらいまで勉強しとるやつがおる。それが高校野球やと思うんですけどね」
-指導者になるきっかけは。
高嶋「高校2年で出た甲子園の入場行進。足が震えたのを今でも覚えています。絶対に指導者になって帰って来る。この感動を野球の後輩たちに味わわせなあかんという一念で今もやってます」
-浪人して大学に。
高嶋「当時五島列島から大学に行くのは本当のボンボン。1年間バイトをして金をためました。大学に入ってからも休みはバイト。外国貨物船の船底での荷物運びで、当時の大卒初任給が3万円くらいのところ1カ月30万円も働きました」
山下「僕もおやじが亡くなったので同じでした。ところで、高野山にはまだ登っているんですか?10年くらい前に、空海に会いに行くって。イノシシにしか合えないよって言うと、空海は生きてるって怒ってた(笑)」
高嶋「空海は恥ずかしがって出てこないんですよ。でも、四国をお遍路さんで回りました。(2008年に部員への暴力行為で)謹慎になった時、辞表を理事長のところに持って行ったんです。すると理事長が『わし、何も話すことはないわ。話すより一度歩いて来いよ』と」
山下「実はあの時、お遍路姿を僕は見てたんです。(センバツ)選考委員で四国にいた。高嶋さんはものすごく速く歩いてた」
高嶋「(謹慎期間の)90日で回ろうとして41日で回りました。最初の1週間はつらくて明日は死ぬかなって思ってました。腰も足も痛くてまめも。最初は20キロがいいところですが、徳島から高知に移ると体が慣れてくる。30キロ、40キロ、愛媛に行けば50キロから55キロ」
山下「それで何かが見えた?」
高嶋「野球しかやってこなかったので、いろんな勉強になりました。朝5時に出発し、午後3時くらいにはくたくたなんですが、四国の人はお接待という慣習がある。徳島である日、おばあさんが『ようお参り、気いつけていきや』と言葉をかけてくれた。するとそこから5キロ歩けた。野球でも選手にそんな言葉を伝えたら生き返るなって。そんな経験がいっぱいあって指導が変わりました」
-謹慎後に監督に復帰した。
高嶋「理事長から復帰しろと言われました。選手を集め、オレでいいのかと聞いたら『お願いします!』と。それで、よっしゃわかった。とりあえずポール間100本行こう!と(笑)。みんながっくりです。でも、心配するな、四国でわかった。100本、200本なんて慣れやぞって話をしたんです」※【2】に続く