【夏の選手権100回大会企画3】秋田の高校野球
秋田県勢、東北勢で初めて優勝に近づいた高校が、秋田中(現秋田)だった。1915年の第1回大会。決勝で京都二中(現鳥羽)と対戦。延長十三回サヨナラ負けしたが、準優勝に輝いた。
以降は秋田市内にある秋田と、秋田商が中心となる。63年の第45回大会で能代が出場するまで、秋田市内の高校以外が聖地に立ったことはなかった。
秋田県勢が全国的に注目を集めたのは、84年の第66回大会に初出場した金足農だった。エース・水沢博文を中心に、県勢として19年ぶりとなる4強へ進出。準決勝では桑田真澄、清原和博(ともに元巨人など)を擁する前年王者・PL学園と対戦した。
初回に先制すると、水沢が5回まで1安打投球。2-1で迎えた8回1死後に4番・清原に四球を与え、5番・桑田に逆転2ランを被弾。強豪を最後まで苦しめた末に、2-3の惜敗した。
80年代には秋田経法大付(現明桜)が台頭した。89年の第71回大会は、1年生・中川申也(元阪神)が、1回戦で出雲商を完封。勢いに乗って4強へ進んでいる。
中川は翌90年の第72回大会も1回戦で育英の戎信行(元オリックスなど)と息詰まる投げ合いを見せ、延長十三回を完投して勝利。甘いマスクで注目を集めた。
97年の第79回大会1回戦では、石川雅規(ヤクルト)を擁する秋田商が、浜田と対戦。9回に2年生・和田毅(ソフトバンク)を攻め、石川が押し出し四球を選んでサヨナラ勝ちしている。
この勝利以降、秋田県勢は低迷期に入り、13大会連続で初戦敗退。2010年の第92回大会では、能代商が鹿児島実に0-15の大敗を喫した。
しかし、11年の第93回大会で、前年に屈辱を味わった能代商が意地を見せる。1回戦で前年に大敗を喫した鹿児島代表の神村学園に逆転勝ちし、県勢の連敗をストップ。さらに3回戦へ進出し、県勢16年ぶりの夏の甲子園2勝を挙げた。
秋田県は2000年代の低迷を受け、11年に秋田県教育委員会、同県高校野球連盟が中心となって「秋田県高校野球強化プロジェクト」を立ち上げた。専門家の動作解析や強化招待試合などを実施した成果もあって、11年からは夏の甲子園で5勝7敗。
15年の第97回大会では、秋田商が成田翔(ロッテ)を擁して同校80年ぶりの8強へ進出した。第1回大会準優勝校を生んだ秋田県の高校野球再興が期待される。
◆秋田県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・秋田19回
2位・秋田商18回
3位・明桜9回
4位・金足農5回
5位・秋田中央4回
5位・能代4回
5位・本荘4回
【勝利数ベスト5】
1位・秋田商10勝
2位・秋田9勝
3位・金足農7勝
4位・明桜6勝
5位・秋田中央3勝
【最高成績】
準優勝・秋田(1915年)
【通算成績】
113試合
41勝72敗
勝率・363
【主な監督】
小野平…1985年の第67回大会で、能代商(現能代松陽)を初の甲子園へ導いた。1995年から2009年までは母校・秋田商の監督として、計7回(春2回、夏5回)の甲子園に出場。
嶋崎久美…金足農の元監督。同校を春3回、夏4回の出場に導いた。1984年夏は初出場でベスト4進出し、準決勝でPL学園を苦しめた。
鈴木寿…1986年に秋田経法大付(現明桜)の監督に就任し、1987年夏から計8回(春3回、夏5回)の甲子園へ導いた。
◆デイリー独断!秋田の高校を卒業した選手のベストナイン
【先発】能代・山田久志(元阪急)
【中継ぎ】明桜・砂田毅樹(DeNA)
【抑え】明桜・摂津正(ソフトバンク)
【捕手】鷹巣農林(現秋田北鷹)・中嶋聡(元日本ハム)
【一塁手】秋田商・渡辺誠太郎(元大洋)
【二塁手】秋田工・落合博満(元日本ハム)
【三塁手】秋田・石井浩郎(元横浜)
【遊撃手】秋田・後藤光尊(元楽天)
【外野手】秋田・滝田政治(元阪神)、大曲・佐藤純一(元近鉄)、秋田商・武藤一邦(元ロッテ)
【指名打者】秋田市立・三浦正行(元大洋)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)