【夏の選手権100回大会企画8】茨城の高校野球
茨城県勢は1980年代まで、夏の甲子園で目立った活躍を見せられていなかった。それまでの最高成績は58年の第40回大会での水戸商の3回戦。全国の舞台では、高い壁に阻まれていた。
74年の第56回大会2回戦では、土浦日大が原辰徳(元巨人)を擁する東海大相模と対戦。エース・工藤一彦(元阪神)が九回2死走者なしから同点に追い付かれ、延長十六回に力尽きた。
76年の第58回大会は、センバツでノーヒットノーランを達成した鉾田一の左腕・戸田秀明が出場。初戦の2回戦で市神港と延長11回を戦い、7失点して敗れた。
しかし、取手二が突如、快進撃を見せる。84年の第66回大会。エース・石田文樹(元横浜)、主将・吉田剛(元阪神)が中心となり、1回戦で優勝候補の箕島を破った。
勢いに乗って勝ち上がると、決勝では桑田真澄、清原和博(ともに元巨人など)を擁するPL学園を撃破。1点リードの九回に追い付かれたが、延長十回に4点を奪って勝ち越して、県勢初の優勝を果たした。
この時、取手二を率いていたのが、木内幸男監督。のちに名将と呼ばれる指揮官が、茨城の高校野球を大きく変えていく。相手の意表を突くさい配は、“木内マジック”と呼ばれ、何度も聖地を沸かせた。
85年には、開校間もない常総学院の監督に就任。87年の第69回大会で同校を夏の甲子園初出場へ導き、島田直也(元近鉄)、仁志敏久(元巨人など)を中心に準優勝した。
2003年の第85回大会では、同校を初の夏の甲子園制覇へ導いた。大会中のチーム本塁打は0本ながら、坂克彦(元阪神)を中心とした高い守備力が武器だった。決勝は東北のエース・ダルビッシュ有(カブス)に12安打を浴びせ、頂点に駆け上がった。
木内監督の出現によって、茨城県全体の高校野球レベルは確実に上がったと言える。
水戸商は、94年の第76回大会で8強へ進出。99年センバツでは準優勝を果たした。
91年の第73回大会3回戦では、竜ケ崎一が松井秀喜(元巨人など)を擁する優勝候補・星稜と対戦。八回に松井に決勝の逆転2ランを浴びるまで接戦を演じた。
藤代は初出場の2005年の第87回大会1回戦で、柳川と延長12回の熱戦を演じ、湯本五十六が162球を投げて完投勝利を挙げている。
木内監督が11年に勇退後は藤代、霞ケ浦、土浦日大が夏の甲子園へ出場。茨城の高校野球界は、“戦国時代”となっている。
◆茨城県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・常総学院16回
2位・水戸商10回
3位・竜ケ崎一9回
4位・取手二4回
5位・土浦日大、取手一、藤代、水戸一3回
【勝利数ベスト5】
1位・常総学院28勝
2位・水戸商9勝
3位・取手二6勝
4位・竜ケ崎一3勝
5位・水戸啓明、土浦一、土浦日大、取手一、日立一、藤代、明野1勝
【最高成績】優勝・取手二(1984年)、常総学院(2003年)
【通算成績】
115試合
53勝62敗
勝率・461
【名監督】
木内幸男…春夏通算22回出場。歴代7位の40勝を挙げている。茨城県勢の優勝3回は、全て木内監督によって成し遂げられている。
◆デイリー独断!茨城県の高校を卒業した選手のベストナイン
【先発】水戸商・井川慶(元オリックス)
【中継ぎ】磯原・金沢健人(元ソフトバンク)
【抑え】土浦日大・工藤一彦(元阪神)
【捕手】水戸短大付(現水戸啓明)・会沢翼
【一塁手】水戸商・大久保博元(元巨人)
【二塁手】常総学院・仁志敏久(元横浜)【三塁手】土浦第一・安藤統男(元阪神)
【遊撃手】水戸商・豊田泰光(元ヤクルト)
【外野手】
下館第一・田宮謙次郎(元ロッテ)、茨城・大和田明(元南海)、日立一・江尻亮(元大洋)
【指名打者】日立工・大友進(元中日)
(ポジションはプロ入り後の登録、所属は現役の最終所属)