【夏の選手権100回大会企画9】栃木県の高校野球
栃木県の高校野球は、作新学院がリードしてきた。
1962年はセンバツで優勝し、同年の第62回大会で史上初の春夏連覇を果たした。夏はセンバツVの原動力となったエース・八木沢荘六(元ロッテ)が大会前に赤痢で離脱。しかし、加藤斌(元中日)が準決勝、決勝の完封を含む3完封で頂点へ導いた。
71年には江川卓(元巨人)が入学した。江川は3年時の73年に春夏連続で甲子園に出場。73年の第55回大会は、1回戦・柳川商戦で延長15回を2失点完投。23三振を奪う快投を見せた。
2回戦・銚子商戦は延長十二回に0-1のサヨナラで敗れたが、甲子園では春夏通算6試合で59回1/3を投げて、防御率0・46。92三振を奪う怪物ぶりを見せた。
その後、作新学院は低迷期に入るが、21世紀に再び台頭する。小針崇宏監督が2006年に就任すると、11年の第93回大会から7年連続で出場中。16年の第98回大会はエース・今井達也(西武)が快投を見せ、52年ぶりの全国制覇を果たした。
栃木県の高校野球史を振り返ると、作新学院が低迷していた70年代後半以降は、毎年のように代表校が変わる時期があった。宇都宮学園(現文星芸大付)、足利工、佐野日大、小山、宇都宮南などが力を付け、聖地の土を踏んだ。
小山は76年のセンバツで準優勝し、同年夏の第58回大会2回戦で、優勝候補・東海大相模を撃破。3番・原辰徳(元巨人)、4番・津末英明(元日本ハムなど)らを擁する強豪を、黒田光弘投手が3安打で完封した。
宇都宮学園は1988年のセンバツで4強入りし、同年の第70回大会は優勝候補として出場。3番・真中満(元ヤクルト)、4番・高嶋徹(元近鉄)が中心選手となり、1回戦で近大付との優勝候補対決を制し、3回戦へ進んだ。
校名を文星芸大付に変更後は、06年の第88回大会1回戦・関西戦で、3点を追う9回1死から5安打を集めてサヨナラ勝ちする劇的な試合を見せた。
佐野日大は平成元年の89年の第71回大会で甲子園に初出場し、開幕戦に登場。エース・麦倉洋一(元阪神)が平成初完封&平成初本塁打などの活躍を見せている。
宇都宮工は、50年代に栃木の高校野球をけん引した。59年の第41回大会はエース・大井道夫(元日本文理監督)を中心に準優勝。夏は86年の第68回大会から出場がなく、再興が期待されている。
◆栃木県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・作新学院13回
2位・文星芸大付10回
3位・佐野日大6回
4位・足利工6回
5位・宇都宮南5回
【勝利数ベスト5】
1位・作新学院25勝
2位・文星芸大付10勝
3位・宇都宮工8勝
4位・佐野日大4勝
5位・宇都宮南3勝
【最高成績】
優勝・作新学院(2回=1962、2016年)
【通算成績】
116試合
57勝59敗
勝率・491
【主な監督】
山本理…元作新学院監督。1956年に母校の監督に就任。怪物・江川ら多くのプロ野球選手を育て、その後は総監督に就任。16年に83歳で亡くなった。
松本弘司…元佐野日大監督。1989年の第71回大会で同校を初の甲子園へ導くと、97年の第79回大会は栃木県勢として35年ぶりの8強へ進出した。春夏通算10回(春4回、夏6回)の甲子園へ導き、通算9勝10敗。
小針崇宏…2006年に23歳で作新学院の監督に就任。26歳だった09年の第91回大会に出場し、甲子園出場監督の最年少記録を更新。16年の第98回大会で同校52年ぶり2度目の全国制覇。春夏通算10回(春2回、夏8回)出場して、通算17勝9敗。
◆デイリー独断!栃木の高校を卒業した選手のベストナイン
【投手】作新学院・江川卓(元巨人)
【中継ぎ】作新学院・落合英二(元中日)
【抑え】佐野日大・沢村拓一(巨人)
【捕手】小山北桜・高谷裕亮(ソフトバンク)
【一塁手】小山・広沢克己(元阪神)
【二塁手】宇都宮学園(現文星芸大付)・片岡易之(元巨人)
【三塁手】栃木工・寺内崇幸(巨人)
【遊撃手】足利工・石井琢朗(元広島)
【外野手】作新学院・島野育夫(元阪神)、宇都宮学園・真中満(元ヤクルト)作新学院・岡田幸文(ロッテ)
【指名打者】国学院栃木・小関竜也(元横浜)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)