【選手権100回大会企画13】東京の高校野球
夏の甲子園で全国1位の通算172勝を誇る東京都。数ある高校の中でも、早実が記録にも記憶にも残る活躍を見せてきた。出場29回は全国歴代4位、通算43勝は同6位タイ。王貞治(元巨人)、荒木大輔(元ヤクルトなど)、斎藤佑樹、清宮幸太郎(ともに日本ハム)と、多くのスター選手も生み出した。
王は1年時の1956年の第38回大会で、初めて聖地の土を踏んだ。翌57年のセンバツでは、エースとして3連続完封し、同校を春夏通じて甲子園初優勝へ導いた。同年の第39回大会2回戦では、寝屋川(大阪)を延長11回ノーヒットノーランで撃破。1年夏から4季連続で甲子園に出場した。
80年の第62回大会は、1年生・荒木が55年ぶりの決勝進出へ導いた。44回1/3無失点で迎えた決勝は、初回に横浜に捕まり、三回までに5失点。あと一歩で優勝を逃した。
ここから王を上回る5季連続出場を果たしたが、82年の第64回大会準々決勝・池田戦で、2-14という屈辱的な敗戦で高校野球を終えた。
2006年の第88回大会では斎藤が旋風を巻き起こした。田中将大(ヤンキース)を擁する駒大苫小牧を、延長引き分け再試合の末に撃破。創部102年目で初の夏の頂点へ導いた。
さらに15年の第97回大会では、のちに史上最多とされる高校通算111本塁打を放つ1年生・清宮が出場。4強へ進出し、聖地を沸かせた。
東京都の高校は、慶応が1916年の第2回大会で都勢として初優勝しているが、戦後は深紅の大優勝旗が遠かった。
76年の第58回大会で、桜美林が初出場初優勝。前評判は高くなかったが、エース・松本吉啓(現千葉経大付監督)を中心に勝ち上がった。決勝ではPL学園と延長11回の激闘を演じ、東京に60年ぶりの優勝旗を持ち帰った。
89年の第71回大会では、帝京が春夏通算3度目の決勝で初優勝。エース・吉岡雄二(元近鉄など)が奮闘し、決勝では仙台育英との延長戦を制し、悲願を達成した。その後は92年のセンバツも制し、95年の第77回大会でも優勝。全国屈指の強豪となった。
2000年以降は、日大三が夏に存在感を示し始める。それまではセンバツで優勝と2度の準優勝を果たし、春に強いイメージだった。01年の第83回大会では、当時の甲子園歴代最高記録となるチーム打率・427の強力打線で、初めて夏の甲子園を制覇。11年もエース・吉永健太朗と強打で2度目の頂点に立った。
15年の第97回大会では、関東一がオコエ(楽天)の活躍で初の4強入り。17年の第99回大会では、東海大菅生が元中日の若林弘泰監督の下、初の4強入りを果たした。激戦区とあって、甲子園まで勝ち進んだチームは安定して力を発揮している。
◆東京都勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・早実29回
2位・日大三16回
3位・帝京12回
4位・慶応9回
5位・日大一8回
【勝利数ベスト5】
1位・早実43勝
2位・帝京30勝
3位・日大三23勝
4位・関東一11勝
5位・慶応、桜美林8勝
【最高成績】
優勝・帝京(2回=1989年、95年)、日大三(2回=2001年、11年)、慶応(1916年)、桜美林(1976年)、早実(2006年)
【通算成績】
307試合
172勝134敗1分
勝率・562
【主な監督】
宮井勝成…早実の元監督。1957年センバツで、同校を春夏通じて初の甲子園優勝へ導いた。
前田三夫…帝京監督。甲子園に春夏通算26回出場して3度優勝し、歴代3位タイの51勝(23敗)を挙げている。
小倉全由…日大三監督。関東一で春夏通算4度の甲子園へ導き、1997年から母校・日大三で指揮を執る。両校合わせて春夏通算20回の甲子園で33勝(18敗)を挙げている。
和泉実…早実監督。2006年の第88回大会で、同校を初の夏の甲子園制覇へ導いた。
◆デイリー独断!東京都の高校を卒業した選手のベストナイン
【先発】堀越・岩隈久志(マリナーズ)
【中継ぎ】帝京商(現・帝京大高)・杉下茂(元大毎)
【抑え】帝京・山崎康晃(DeNA)
【捕手】法政一・田淵幸一(元西武)
【一塁手】早実・王貞治(元巨人)
【二塁手】国学院久我山・井口資仁(元ロッテ)
【三塁手】関東(現聖徳学園)・江藤智(元西武)
【遊撃手】堀越・井端弘和(元巨人)
【外野手】帝京商工(現・帝京大高)・栗橋茂(元近鉄)、城西・高橋慶彦(元阪神)、二松学舎大付・鈴木誠也(広島)
【指名打者】早実・榎本喜八(元西鉄)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)