【選手権100回大会企画26】京都の高校野球
京都府は記念すべき初代優勝校を輩出している。1915年の第1回大会。京都二中(現鳥羽)が決勝で秋田中を延長十三回サヨナラで破り、代表10校(参加73校)の頂点に立った。
その後は、1908年創部の龍谷大平安が、京都の高校野球をけん引してきた。出場33回と、通算59勝はともに全国3位。現在、甲子園で春夏通算99勝を挙げている。
初出場は27年の第13回大会だった。その後、3回の準優勝を経て、10回目の出場となった38年の第24回大会で念願の頂点に立った。
決勝では岐阜商(現県岐阜商)と対戦。九回に1点を先制されたが、直後の攻撃で2点を奪ってサヨナラ勝ちで頂点に立った。
その後も球史に残る戦いを見せてきた中で、大きな注目を集めたのが97年の第79回大会だった。エースで4番の川口知哉投手(元オリックス)が、準決勝までの5試合で47三振を奪取。同校41年ぶりの決勝へ導き、ビッグマウスでも注目を浴びた。しかし、4連投となった決勝で智弁和歌山に屈した。
2003年の第85回大会3回戦では、服部大輔投手が東北のエース・ダルビッシュと投手戦を展開。延長十一回にサヨナラ負けしたが、ダルビッシュの15三振を上回る17三振を奪った左腕の力投は聖地を盛り上げた。
京都府の高校は、全国屈指の強豪・龍谷大平安と切磋琢磨(せっさたくま)してきたことで、甲子園でも活躍を見せている。
1981年の第63回大会は、京都商(現京都学園)が京都勢では25年ぶりの決勝へ進出。直球と大きなカーブが武器で、“小さな大投手”と言われた身長168センチのエース・井口和人が大黒柱となった。決勝は金村義明(元近鉄など)を擁する報徳学園に0-2の惜敗だった。
98年の第80回大会では、京都成章が快進撃を見せた。1回戦・仙台戦で甲子園初勝利を挙げると勢いに乗り、前年の平安に続いて京都勢2年連続となる決勝へ進出した。
決勝は横浜のエース・松坂大輔投手(中日)にノーヒットノーランを喫したが、左腕・古岡基紀投手を中心に大会を盛り上げた。
京都外大西は2004年の第86回大会2回戦で、涌井秀章(ロッテ)を擁する横浜と激闘を見せて0-1で敗れた。
すると、翌05年の第87回大会では、1年生右腕・本田拓人が全6試合でロングリリーフで流れを引き寄せて決勝へ進出。しかし、決勝では2年生・田中将大(ヤンキース)を擁する駒大苫小牧が立ちはだかり、準優勝に終わった。
京都勢は夏の甲子園では、1956年の第38回大会で平安(龍谷大平安)が優勝して以降、準優勝が4度。節目の100回大会で52年ぶりの京都勢優勝を狙う。
◆京都府勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・龍谷大平安33回
2位・京都学園11回
3位・京都外大西9回
4位・鳥羽6回
5位・福知山成美、東山4回
【勝利数ベスト5】
1位・龍谷大平安59勝
2位・京都外大西12勝
3位・鳥羽10勝
4位・京都学園8勝
5位・西京7勝
【最高成績】
優勝・龍谷大平安(3回=1938年、1951年、1956年)、鳥羽(1915年)
【通算成績】
208試合
118勝89敗1分
勝率・570
【主な監督】
富樫淳…平安の元監督。春夏通算6回の甲子園に出場して、通算11勝5敗。1956年の第38回大会で優勝へ導いた。
三原新二郎…広陵、京都外大西などの元監督。春夏通算14回の甲子園へ出場し、通算26勝14敗。1967年の第49回大会で広陵を準優勝、2005年の第87回大会で京都外大西を準優勝へ導いた。
卯滝逸夫…北嵯峨、鳥羽、立命館宇治の元監督。3校を甲子園へ導き、春夏通算10回の甲子園で通算6勝10敗。2000年センバツは鳥羽を4強へ導いた。
勝山五郎…京都商などの元監督。春夏通算8回の甲子園で、通算6勝8敗。1981年の第63回大会で準優勝。
原田英彦…龍谷大平安の監督。春夏通算16回の甲子園へ出場し、通算26勝15敗。センバツは2014年に優勝、夏は1997年の第79回大会で準優勝している。
◆デイリー独断!京都の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン
【先発】花園・斉藤明雄(元横浜)
【中継ぎ】東山・岡島秀樹(元DeNA)
【抑え】鳥羽・平野佳寿(ダイヤモンドバックス)
【捕手】峰山・野村克也(元西武)
【一塁手】平安・桧山進次郎(元阪神)
【二塁手】平安・阪本敏三(元南海)
【三塁手】平安・衣笠祥雄(元広島)
【遊撃手】山城・吉田義男(元阪神)
【外野手】平安・近藤和彦(元近鉄)、大谷・波留敏夫(元ロッテ)、宮津・糸井嘉男(阪神)
【指名打者】平安・金田正泰(元阪神)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)