【選手権100回大会企画27】兵庫の高校野球
甲子園の所在地、兵庫県勢は選手権大会の創成期から高校野球をけん引する存在だった。7度の全国制覇は、大阪、愛知に次いで全国3位タイだ。
兵庫には第1回大会の予選から“皆勤”している神戸一中(現神戸)は1919年の第5回大会で優勝。同じく“皆勤”の関西学院中(現関西学院)も20年の第6回大会で頂点に立った。23年の第9回大会では甲陽中(現甲陽学院)が優勝。第10回大会までに3校も優勝校を出している。
52年の第34回大会では、芦屋(現県芦屋)が29年ぶりに地元優勝を果たした。
60年代に入ると、兵庫県の東で報徳学園、西で東洋大姫路が台頭し、“2強時代”へと進んでいく。
東洋大姫路は77年の第59回大会で初優勝した。左腕エース・松本正志(元阪急)が4試合中3完封。決勝は“バンビ”坂本佳一を擁する東邦と対戦し、延長十回に4番・安井浩二がサヨナラ3ランを放ち、劇的な全国制覇を果たした。
報徳学園は61年の第43回大会に初出場。倉敷工との1回戦で、延長11回表に6点を奪われたが、直後の攻撃で6点を奪い返した。同12回にサヨナラ勝ちし、“逆転の報徳”の異名を取った。
そして、81年の第63回大会で全国制覇を果たす。エースで4番・金村義明(元近鉄など)が中心となり、3回戦では荒木大輔(元ヤクルトなど)を擁する早実と対戦。8、9回で4点差を追い付き、延長10回にサヨナラ勝ちする劇的な試合を見せ、頂点まで駆け上がった。
90年代以降は“戦国時代”となる。93年の第75回大会は、育英が全国制覇。投手3本柱と、大村直之(元近鉄など)を中心とした打線が大会記録の30犠打を決めるつなぎの野球で頂点に立った。
兵庫には強豪私立が多いが、公立校の活躍も目立つ。
68年には市神港(現神港橘)がエース・山口高志(元阪急)の快投37年ぶりの夏の甲子園へ出場。
75年の第57回大会では洲本が、史上初の淡路島対決となった兵庫大会決勝で、津名を下して初出場。53年センバツで初出場初優勝を果たして以来となる甲子園出場を果たした。
84年の第66回大会では、明石が1回戦で北海を下して24年ぶりの勝利を挙げた。91年の第73回大会では、村野工が左腕エース・安達智次郎(元阪神)、黒田哲史(元西武)らを擁して初出場した。
兵庫は全国屈指の激戦区であることには変わりないが、2000年以降は4強に進出が2回のみ。1993年の育英を最後に24年間、優勝から遠ざかっている。
◆兵庫県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・報徳学園14回
2位・東洋大姫路12回
3位・滝川7回
3位・関西学院7回
3位・市神港7回
【勝利数ベスト5】
1位・報徳学園26勝
2位・東洋大姫路20勝
3位・育英17勝
4位・関西学院、甲陽学院、県芦屋、明石9勝
【最高成績】
優勝・神戸(1919年)、関西学院(1920年)、甲陽学院(1923年)、県芦屋(1952年)、東洋大姫路(1977年)、報徳学園(1981年)、育英(1993年)
【通算成績】
227試合
135勝92敗
勝率・595
【名監督】
梅谷馨…東洋大姫路の元監督。春夏通算8回の甲子園に出場し、通算18勝7敗。センバツは4強2回、夏は優勝1回と4強1回。
福島敦彦…元報徳学園監督。センバツに3回出場し、74年に優勝。
北原功嗣…元報徳学園監督。春夏通算4回の甲子園へ導き、81年の第63回大会で優勝。
日下篤…育英の元監督。春夏通算3回の甲子園で通算8勝2敗。93年の第75回大会で優勝。
永田裕治…報徳学園の元監督、現高校日本代表監督。報徳学園では春夏通算18回の甲子園に出場し、2002年センバツで優勝。通算23勝17敗。報徳学園の1981年夏の甲子園優勝メンバーであり、選手、監督の両方で甲子園を制している。
◆デイリー独断!兵庫の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン
【投手】育英・鈴木啓示(元近鉄)
【中継ぎ】報徳学園・大谷智久(ロッテ)
【抑え】東洋大姫路・長谷川滋利(元マリナーズ)
【捕手】川西明峰・古田敦也(元ヤクルト)
【一塁手】柏原・佐々木恭介(元近鉄)
【二塁手】洲本・鎌田実(元阪神など)
【三塁手】市尼崎・池山隆寛(元ヤクルト)
【遊撃手】伊丹北・中島宏之(オリックス)
【外野手】甲陽学院・別当薫(元毎日)、滝川・青田昇(元阪急)、西宮北・田口壮(元オリックス)
【指名打者】三田学園・羽田耕一(元近鉄)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)