【選手権100回大会企画28】大阪の高校野球
大阪の高校野球は、日本の高校野球をけん引してきた。記念大会以外は1代表のため、夏の甲子園勝利数は東京(172勝)に次ぐ2位の166勝ながら、通算12回の優勝と勝率・656は全国1位。戦後以降は、世代ごとに代表するチームが生まれている。
戦争で5年の中断後、大会が再開された1946年の第28回大会で、浪華商(現大体大浪商)が大阪勢として初優勝を飾る。
60年代に入ると、興国、明星、PL学園、浪商(現大体大浪商)、北陽(現関大北陽)、近大付、大鉄(現阪南大高)による“私学7強”時代が幕を開ける。60年以降、82年の第64回大会で春日丘が出場するまで22年間も7強が代表となった。
浪商は、61年の第43回大会で怪童・尾崎行雄(元東映)を擁して全国制覇を果たした。
2年後の63年の第45回大会では、夏は40年ぶりの出場となった明星が優勝。決勝では池永正明(元西鉄)を擁する同年センバツ王者・下関商を下した。
さらに68年の第50回大会では興国も優勝。アンダースロー・丸山朗が、6試合でわずか1失点という快投を見せた。大阪勢は60年代だけで3校も優勝校が誕生した。
73年には北陽(現関大北陽)のエース・有田二三男(元近鉄)が、高鍋との3回戦でノーヒットノーランを達成した。
79年はセンバツで準優勝した浪商が、同年の第61回大会で4強へ進出。エース・牛島和彦(元中日など)と“ドカベン”香川伸行(元ダイエー)のバッテリーの活躍は全国から注目を浴びた。
70年代からはPL学園が力を発揮する。78年の第60回大会は“逆転のPL”と称された勝負強さを見せ、初優勝した。
83年の第65回大会からは黄金時代を迎えた。1年生だった桑田真澄&清原和博(ともに元巨人)が中心となり、2度目の優勝を果たした。
“KKコンビ”が在学中は、春夏5度の甲子園に出場して優勝2回、準優勝2回、4強1回。85年の第67回大会決勝・宇部商(山口)戦は清原が2本の同弾を放ち、九回サヨナラ勝ち。劇的なフィナーレを飾った。
87年には立浪和義(元中日)ら、のちにプロ入りする選手を多数擁して、同校初の春夏連覇を成し遂げた。
しかし、この年以降、勢力図が変わり始める。91年の第73回大会で大阪桐蔭が、4番・萩原誠(元阪神)を中心に初出場初優勝を成し遂げる。上宮、履正社なども存在感を示すようになる。
21世紀に入ってからは大阪桐蔭が、かつてのPL学園をほうふつさせるほどの強豪に成長する。2008年に浅村栄斗(西武)らを中心に2度目の優勝。12年は藤浪晋太郎(阪神)-森友哉(西武)のバッテリーで初の春夏連覇を達成した。
今春は史上3校目のセンバツ連覇を達成。今夏の第100回大会で、史上初となる2度目の春夏連覇に挑む。
◆大阪府勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・PL学園17回
2位・大体大浪商13回
3位・市岡10回
4位・大阪桐蔭9回
5位・明星8回
【勝利数ベスト5】
1位・PL学園48勝
2位・大阪桐蔭31勝
3位・大体大浪商17勝
4位・市岡11勝
5位・明星10勝
【最高成績】
優勝・PL学園(4回=1978年、1983年、1985年、1987年)、大阪桐蔭(4回=1991年、2008年、2012年、2014年)、大体大浪商(2回=1946年、1961年)、明星(1963年)、興国(1968年)
【通算成績】
253試合
166勝87敗
勝率・656
【主な監督】
中村順司…元PL学園監督。春夏通算16回の甲子園に導き、監督個人では歴代1位タイの春夏通算6回(春3回、夏3回)の優勝。通算58勝(10敗)は歴代2位。甲子園での勝率・853は歴代1位。
西谷浩一…大阪桐蔭監督。春夏通算15回の甲子園へ導いている。中村順司氏と並び、監督個人では歴代1位タイの春夏通算6回(春3回、夏3回)の優勝を誇る。甲子園での勝率・845は歴代2位。
◆デイリー独断!大阪の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン
【先発】上宮・黒田博樹(元広島)
【中継ぎ】PL学園・桑田真澄(元パイレーツ)
【抑え】大院大高・江夏豊(元西武)
【捕手】桜宮・矢野燿大(元阪神)
【一塁手】PL学園・清原和博(元オリックス)
【二塁手】PL学園・立浪和義(元中日)
【三塁手】大阪桐蔭・中村剛也(西武)
【遊撃手】PL学園・松井稼頭央(西武)
【外野手】大鉄(現阪南大高)・土井正博(元西武)、大鉄・福本豊(元阪急)、PL学園・福留孝介(阪神)
【指名打者】北陽(現関大北陽)・岡田彰布(元オリックス)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)