【選手権100回大会企画39】高知の高校野球
高知県勢として夏の甲子園に初出場したのは、1946年の第28回大会の城東中(現高知追手前)だ。以降は高知商、高知、土佐の3校が中心となって覇権を争った。
しかし、90年に明徳義塾に馬淵史郎監督が就任すると、形勢が変わる。他校が明徳義塾を追う形となった。
明徳義塾は2002年の第84回大会で、春夏通じて同校初の甲子園制覇を果たした。
3回戦・常総学院戦では、八回表に2点を勝ち越されたが、その裏に2番・沖田浩之が同点2ラン。さらに続く3番・森岡良介(元ヤクルトなど)が決勝ソロを放って劇的な逆転勝ちを決めた。
決勝は智弁和歌山を序盤から圧倒し、7-2で優勝。勝利の直後、ショート・森岡がグラブで顔を覆いながら涙するシーンが印象的だった。
この大会以外でも、印象に残る試合を展開してきた。
1992年の第74回大会2回戦では星稜・松井秀喜(元巨人など)を5打席連続敬遠し、全国的な議論を巻き起こした。
また98年の第80回大会準決勝・横浜戦は八回表終了時点で6点をリード。だが、松坂大輔(中日)を擁する強力打線に、寺本史郎(元ロッテ)、高橋一正(元ヤクルト)がつかまって、まさかのサヨナラ負けを喫した。
明徳義塾は現在、夏の高知大会を8連覇中。その間に夏の甲子園4強2回、8強1回。全国トップレベルの強豪となっている。
高知県の高校野球をけん引してきた高知、高知商、土佐も甲子園で印象に残る試合を見せてきた。
高知は64年の第46回大会で、県勢として初優勝した。初戦の秋田工戦で4番・有藤通世(元ロッテ)が顔面に死球を受けて入院。以降の試合を欠場したが、2年生・光内数喜の好投で頂点に立った。センバツでは67年に準優勝、75年には優勝。県内の高校野球を引っ張る存在だ。
高知商は78年の第60回大会で準優勝した。決勝・PL学園戦は九回まで2点リードしながら、九回裏に3点を奪われてサヨナラ負け。“逆転のPL”に屈して頂点を逃した。
97年の第79回大会は、弟・藤川球児(阪神)-兄・順一の兄弟バッテリーで注目を集めた。2回戦で川口知哉(元オリックス)を擁する平安に敗れたが、藤川球児は8回10奪三振の力投を見せた。
土佐は53年の第35回大会で準優勝。九回に追い付かれ、延長十三回に力尽きる惜しい試合だった。
66年センバツでは準優勝しているが、夏は89年の第71回大会出場を最後に遠ざかっており、復活が期待されている。
また、85年のセンバツで渡辺智男(元西武など)を擁して初出場初優勝した伊野商は、87年の第69回大会で夏唯一の出場を果たした。東亜学園に逆転され、初戦で敗退している。
高知県勢は94年の第76回大会に出場した宿毛を最後に、明徳義塾、高知商、高知以外は夏の甲子園に出場していない。他校の奮闘が期待されている。
◆高知県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・高知商22回
2位・明徳義塾19回
3位・高知13回
4位・土佐4回
5位・高知追手前、伊野商、宿毛1回
【勝利数ベスト5】
1位・高知商36勝
2位・明徳義塾33勝
3位・高知16勝
4位・土佐6勝
5位・高知追手前1勝
【最高成績】
優勝・高知(1964年)、明徳義塾(2002年)
【通算成績】
151試合
92勝59敗
勝率・609
【主な監督】
溝淵峯男…土佐、安芸、高知で春夏通算7回の甲子園へ出場。64年の第46回大会で高知を初優勝へ導く。
松田昇…高知商、明徳(現明徳義塾)の元監督。高知商では春夏通算10回の甲子園へ出場。82年センバツでに明徳を春夏通じて初の甲子園へ導いた。
谷脇一夫…高知商の元監督。春夏通算14回の甲子園へ導き、78年の第60回大会で準優勝、80年センバツで優勝。
岡本道雄…高知の元監督。春夏通算12回の甲子園に出場し、75年センバツで優勝。
馬淵史郎…春夏通算32回の甲子園で歴代5位の通算50勝(31敗)。02年の第84回大会で優勝へ導いた。
◆デイリー独断!高知の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン
【先発】高知商・江本孟紀(元阪神)
【中継ぎ】高知商・鹿取義隆(元西武)
【抑え】高知商・藤川球児(阪神)
【捕手】明徳義塾・伊藤光(オリックス)
【一塁手】明徳義塾・町田公二郎(元阪神)
【二塁手】高知商・須藤豊(元巨人)
【三塁手】高知・有藤通世(元ロッテ)
【遊撃手】明徳義塾・森岡良介(元ヤクルト)
【外野手】高知商・岩本章(元広島)、高知・弘田澄男(元阪神)、明徳義塾・横田真之(元西武)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)