【選手権100回大会企画42】長崎の高校野球
長崎県勢はセンバツで優勝1回、準優勝1回を誇る。しかし、夏は3回の4強が最高成績。その3回とも、あと一歩で決勝進出を逃している。
1回目は1952年の第34回大会での長崎商だ。2試合連続完封で勝ち上がったが、準決勝で八尾に0-1の完封負けを喫した。
76年の第58回大会では、海星が県勢2回目の4強へ進出。ネス湖の怪獣「ネッシー」になぞらえて、「サッシー」と呼ばれたエース・酒井圭一投手(元ヤクルト)が大活躍した。
3回戦は、同年のセンバツ王者・崇徳を2安打完封。準決勝ではPL学園と対戦し、九回に1点差を追い付いたが、延長十一回に力尽きた。
2007年の第89回大会では、長崎日大が県勢31年ぶりとなる4強へ進んだ。
3回戦では京都外大西に3点リードをひっくり返されたが、八回に再逆転して勝利。準決勝で、同大会を制する佐賀北に敗れたが、久々の快進撃に県内が沸いた。
4強に進出経験がある長崎商、海星、長崎日大は、県勢の中心でもあった。だが、2000年代に入ると、清峰が勢力図を変える活躍を見せた。
05年の第87回大会で、春夏通じて初の甲子園に出場。1回戦でいきなり同年のセンバツ王者・愛工大名電を破る大金星を挙げた。
相手のバント作戦を封じて延長戦へ。エース・古川秀一(元オリックス)が決勝打を放ち、延長十三回を1人で投げ抜いた。
翌06年にセンバツ準優勝を果たすと、09年はエース・今村猛(広島)を擁して、センバツを初制覇。第91回大会で甲子園春夏連覇を目指した。
しかし、長崎大会準々決勝で、大瀬良大地(広島)を擁する長崎日大に敗れた。
長崎日大はその後、甲子園に出場した。大瀬良は1回戦で菊池雄星(西武)と投げ合って、5回まで1点リード。球場を盛り上げる投げ合いを見せたが、七回に逆転を許してマウンドを降りると、チームも敗れた。
また、佐世保工は1974年の第74回大会で、長崎市外から初めて夏の甲子園に出場した高校となった。
82年の第64回大会1回戦・東海大山形戦で、2年生右腕・香田勲男(元巨人など)が1失点完投。同校の甲子園初勝利へ導いた。
香田はこの大会から3季節連続で甲子園に出場。83年センバツは2試合連続完封で8強へ進出した。
83年の第65回大会では、長崎大会決勝・五島戦でノーヒットノーランを達成。甲子園でも黒沢尻工を完封するなど、華々しい活躍を見せている。
長崎県勢は、出場回数が少ない高校も活躍を見せている。
長崎北陽台は、春夏通じて唯一の甲子園出場となっている94年の第76回大会で、快進撃を見せた。エース・松尾洋和が1回戦で関東一を3安打完封。勢いに乗って8強へ進出した。
2年後の波佐見も、春夏通じて初出場した96年の第78回大会で8強へ進んだ。
ただ、長崎県勢は最近10年間で2回戦進出が最高成績。5年連続で代表校が代わっており、混戦模様となっている。
◆長崎県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・海星17回
2位・長崎日大9回
3位・長崎商7回
4位・佐世保実5回
5位・佐世保工4回
【勝利数ベスト5】
1位・海星10勝
1位・長崎日大10勝
3位・清峰4勝
4位・長崎商3勝
4位・長崎北陽台3勝
【最高成績】
4強・長崎商(1952年)、海星(1976年)、長崎日大(2007年)
【通算成績】
100試合
37勝63敗
勝率・370
【主な監督】
井口一彦…海星の元監督。春夏通算7回の甲子園に出場。76年の第58回大会で4強へ導いた。
金城孝夫…沖縄尚学の元監督で、長崎日大監督。両校で春夏通算6回の甲子園に出場。沖縄尚学では、99年センバツで沖縄勢として春夏通じて甲子園初優勝へ導いた。長崎日大では07年の第89回大会で4強へ進出。
吉田洸二…清峰の元監督で、山梨学院監督。両校で春夏通算8回の甲子園に出場。清峰では06年センバツで準V、09年センバツで優勝へ導いた。
◆デイリー独断!長崎の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン
【先発】瓊浦・下柳剛(元阪神)
【中継ぎ】佐世保工・香田勲男(元近鉄)
【抑え】清峰・今村猛(広島)
【捕手】佐世保実・村田善則(巨人)
【一塁手】長崎日大・貝塚政秀(元西武)
【二塁手】海星・堀幸一(元ロッテ)
【三塁手】佐世保実・川島慶三(ソフトバンク)
【遊撃手】海星・平田勝男(元阪神)
【外野手】佐世保商・黒田一博(元大映)、海星・池辺巌(元近鉄)、瓊浦・本西厚博(元ロッテ)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)