【選手権100回大会企画45】宮崎の高校野球
1954年の第36回大会。高鍋が宮崎勢として初めて夏の甲子園に出場した。現在まで連続出場は63、64年の宮崎商のみ。群雄割拠が続いている。
宮崎商は、2年連続出場となった64年の第46回大会で県勢初の4強入りを果たした。
2年生エースで4番・水谷実雄(元広島など)が大黒柱となり、準々決勝は熊谷商工に逆転勝ち。準決勝は優勝する高知に0-1のだった。
翌65年の第47回大会では、高鍋がエース・牧憲二郎(元阪急など)が2試合連続完封で準決勝へ。木樽正明(元ロッテ)を擁する銚子商に逆転負けしたが、県勢2年連続4強入りを果たした。
その後は毎年違う代表校が聖地に立った。戦力の一極集中がないため、代表校は甲子園でも活躍を見せてきた。
75年の第57回大会では、初出場の日南が1回戦で岡山東商、2回戦で興国に逆転勝ち。日南市でキャンプを行い、ヘルメットの色が似た広島の活躍もあって「赤ヘル旋風」と呼ばれた。
84年は、都城が田中幸雄(元日本ハム)を擁して活躍を見せた。同年センバツは、準決勝でPL学園に惜敗して4強入り。夏の第66回大会3回戦でPL学園と再戦したが、「KKコンビ」を擁する強豪に返り討ちされた。
2001年の第83回大会では、日南学園の豪腕・寺原隼人(ソフトバンク)が全国から注目を集めた。
1回戦・四日市工戦は、横浜・松坂大輔(中日)らに並ぶ大会最速タイの151キロを計時。8回1失点で10三振を奪った。
2回戦・玉野光南戦は、五回から登板。当時の甲子園最速となる154キロを計時。苦しみながら玉野光南を延長十回に下すと、8強まで進出した。
都城商は1981年の第63回大会と、2009年の第91回大会に出場。ともに8強へ進んでいる。
28年ぶりの出場となった09年は、2回戦で三重に逆転勝ち。3回戦は智弁和歌山のエース・岡田俊哉(中日)から初回に3点を奪うと、エース・新西貴利が10三振1失点で完投した。
13年の第95回大会では、延岡学園が県勢悲願の全国制覇にあと一歩まで迫った。
準々決勝・富山第一戦は七回に逆転を許したが、八回に同点に追い付いた。
九回1死一、三塁は二ゴロ併殺でピンチを切り抜けたと思われた。しかし、タイムがかかっていたという審判の判断で取り消しとなった。
それでも3番手・奈須怜斗が踏ん張って、延長十一回にサヨナラ勝ち。県勢48年ぶりの4強入りを果たした。
準決勝・花巻東戦は、横瀬貴広が3安打で完封。ドラマ「あまちゃん」のテーマソングに乗って大声援を送るスタンドの後押しに応えて、県勢初の決勝まで進んだ。
決勝は高橋光成(西武)を擁する前橋育英に対して、四回に3点を先制。しかし、逆転を許して優勝旗を逃した。
頂点まであと一歩。節目の100回大会となる今夏は、悲願達成が期待される。
◆宮崎県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・日南学園8回
1位・都城8回
3位・延岡学園7回
4位・高鍋6回
5位・宮崎商4回
【勝利数ベスト5】
1位・日南学園8勝
2位・都城7勝
3位・延岡学園6勝
3位・高鍋6勝
5位・宮崎商5勝
5位・都城商5勝
【最高成績】準優勝・延岡学園(2013年)
【通算成績】
111試合
52勝59敗
勝率・468
【主な監督】
川野昭喜…都城の元監督。春夏通算5回の甲子園に出場。84年センバツで4強へ導いた。
小川茂仁…日南学園の元監督。春夏通算9回の甲子園に出場。春は2回、夏は1回の8強へ導いた。
重本浩司…延岡学園の元監督。夏2回の甲子園に出場し、13年の第95回大会で県勢初の準優勝へ導いた。
◆デイリー独断!宮崎の高校を卒業したプロ野球選手ベストナイン
【先発】都城農・北別府学(元広島)
【中継ぎ】高鍋・池田親興(元ヤクルト)
【抑え】都城・福盛和男(元楽天)
【捕手】宮崎商・高橋博士(元ロッテ)
【一塁手】宮崎商・水谷実雄(元阪急)
【二塁手】福島・西村徳文(元ロッテ)
【三塁手】延岡工・福良淳一(元オリックス)
【遊撃手】都城・田中幸雄(元日本ハム)
【外野手】宮崎商・小川亨(元近鉄)、宮崎南・木村拓也(元巨人)、日向・青木宣親(ヤクルト)
【指名打者】
宮崎大宮・武上四郎(元ヤクルト)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)