PL学園vs横浜の延長17回死闘…物語の始まりはセンバツだった
「PL学園vs横浜」と言われれば、ほとんどの方は1998年夏の甲子園準々決勝戦を思い浮かべる事だろう。
PL学園が序盤に先制するも、負けじと横浜が追いつき5対5で延長戦へ。その後も両軍譲らず3時間半を越える試合は延長17回表に横浜の常盤良太の2ランホームランで決着がついた。
しかし、この死闘が夏に始まったものでない事をご存じの方も多いはず。そう、同年春、センバツ準決勝戦で両校が対戦する所から物語は始まっていたのだ。
7回を終わって、2対0でリードしていたPL学園だが8回表にピンチを迎える。ワンアウト2、3塁でバッターは松坂大輔。松坂の打球は三塁線を襲い、サード・古畑和彦が逆シングルで見事にキャッチし、バックホーム。しかし、不運にも送球がランナーの背中に当たり、ボールが逸れる間に二塁走者まで生還して同点となってしまう。その後、横浜は9回に勝ち越しの1点をもぎ取り、見事3対2で逆転勝利をおさめたのだ。
もしサードからの送球がランナーに当たらなければ、結果はどうなっていたか分からない。
PL学園は、センバツ決勝で横浜と対戦した関大一には秋の練習試合で勝ち、大阪大会準決勝戦でも勝利している。この事からも、もしかすると自分たちが全国優勝できたのかもしれない。
この大会を最後に甲子園通算58勝でユニホームを脱いだ中村順司監督にも60勝目をプレゼントできたかもしれない。
そんな無数の「かもしれない」がPL学園を打倒横浜、打倒松坂という目標の元に一つにし、夏を迎えさせたと言えないだろうか。
ちなみに8回のランナーの背中にボールが当たった場面、横浜の三塁走者は明らかに外から内側、キャッチャーミットめがけて走りこんで来ていた。
それに気づいたPL学園は夏にもう一度横浜と対戦する事を想定し、その走塁対策として、キャッチャーは内側に構えランナーを誘い出し、サードからの送球は外に投げて刺す練習を幾度となく繰り返したという。
そして、迎えた夏の対戦での5回表ワンアウトランナー3塁で、2番・加藤重之が打った打球はサード古畑へのゴロ。まさかの同じ場面を迎え、見事に横浜の三塁走者をアウトにしたというのだからびっくりである。
この事から考えても「春があったからこそ98年夏が伝説になった」と言えるのではないだろうか。
もちろん、ここで終わってもとんでもないドラマなのだが、両校にはまだ続きがある。
なんと翌99年のセンバツ初戦で再び対戦が決まったのだ。そして、その試合でも信じられない場面がやってくる。
5対5の8回裏。PL学園はワンアウト1、3塁で勝ち越しのチャンスを迎えるも、バッター田中雅彦の打球はレフトへの浅いフライ。しかし、ここで3塁ランナーは果敢にタッチアップで本塁を目指した。
完全にアウトのタイミングだったが、まさかのその返球がランナーの背中に当たり、無情にもファウルゾーンを転々とする間にホームイン。結局その1点が決勝点となりPL学園が6対5で98年の借りを返す形となった。
つまり、98年夏の死闘は、春に始まり次の年の春まで物語が続いていたのだ。
センバツの大会歌「今ありて」の1節で大好きな歌詞がある。
「今ありて未来も扉を開く 今ありて時代も連なり始める」
今年もセンバツで新たなドラマが始まる予感がする。