金本、連続試合出場記録「笑えた」で幕
「金本知憲連続試合出場記録ストップ」(2011年4月15日)
ついに止まった。阪神・金本知憲外野手(43)の連続試合出場が、歴代2位の1766試合で止まった。八回2死一塁で代打に立ったが、一走・俊介が盗塁に失敗。打席が完了しなかった。俊介はノーサインでの盗塁。だれもが驚いたが、真弓監督は記録継続だけのために金本をその裏の守備に就かせることはしなかった。ベンチも金本も勝負に徹し、鬼門ナゴヤドームで白星をもぎ取った。
歴史が動いた。金本が足かけ14年で築き上げた尊い記録があっけなく途絶えた。
“事件”は八回2死に起こった。俊介が四球で出塁すると、真弓監督はこの日先発を外れていた金本をコール。客席から割れんばかりの歓声が注がれた。1ボールからの2球目だ。一塁走者俊介がノーサインでスタートを切った。谷繁からの送球で刺され、3アウト。その裏左翼の守備に浅井が入り、金本はベンチへ退いた。幻の打席は「出場」に数えられず、鉄人と呼ばれた男が広島時代の98年7月10日(ヤクルト戦)から継続してきた連続試合出場が1766試合でストップした。
試合後、金本はコーヒーを飲みながら、笑ってロッカールームを出てきた。連続試合出場が途切れた-大挙押し寄せた報道陣からそう問われると、「全然!笑えたくらい」と噴き出しそうになりながら答えた。「試合前から(先発落ちを)言われていたからね。監督にも言ってたんよ。“(記録を)気にして無理に出すのはやめてください”って。ただ、あそこで盗塁はびっくりやけどな」。最後は広陵高後輩の“暴走”をイジったが、その表情には未練のかけらもなかった。
思わぬ形の記録ストップだけに、真弓監督もばつが悪そうだったが、俊介を責めはしなかった。後ろ向きではない。チームが勝利に徹し、金本もすべてを受け入れた。「何を言ってるの!ナゴヤドームで勝てたんだから。それを喜ばないと!」。金本は04年以来となる鬼門ナゴヤでの白星発進を心から喜んだ。
連続試合出場について、「まったくこだわりはない。早く止めてほしい」と繰り返してきた。前夜、広島戦後に真弓監督から「肩の状態を考えて、少し休みながらいこう」と中日戦初戦の先発落ちを通達され、一切わだかまりなく受け入れた。
昨季、開幕前に痛めた右肩はシーズン後に限界に達していた。福岡市内の病院に検査入院した際、担当医から「これはケガじゃない。病気。しかも末期の…。プレーなんてとんでもない。アキレス腱のない人が走るようなものだ」と強く手術を促された。患部は液化神経まひを起こし、部分断裂だった棘(きょく)上筋は100%断裂していた。だが、金本は今年4月で43歳になる年齢を考え、手術を回避。地道なリハビリで開幕スタメンまでこぎつけた。
金本は前夜、担当の伊藤トレーナーに電話を入れた。「明日、9時12分の新幹線に乗るぞ」。朝7時過ぎに起床し、チーム便より2時間以上早い新幹線で名古屋へ向かった。目的は肩回りの筋力強化。宿舎の一室で1時間以上、汗を流して、球場へ向かった。
記録は途絶えた。だが、金本の野望はまだまだ止まることはない。