【金田正一さん追悼】NPBアンタッチャブル記録を集めてみた
プロ野球史上唯一の400勝投手・金田正一さんが5日、天に召された。多くの大記録を残したレジェンドに敬意を表し、絶対破られないであろう記録たちを振り返る。(敬称略)
公開日:2017.7.21
2位の広瀬叔功が596だから倍近い数字になる。現役最多の荒木雅博376とは約700の差。さすがは92年リッキー・ヘンダーソンに破られるまで世界記録だった記録。こんなに偉大な記録の持ち主なのに、テレビ解説では“気さくな関西のおっさん”キャラで楽しませてくれております。
シーズン記録の金字塔 68年・江夏豊の401奪三振
投球回数は329で1イニング平均1.22個!歴代2位は稲尾和久353(61年、404イニング)だが、新記録となる「354」という数字を巡る逸話がある。
「新記録は王さんから」と公言していた江夏は、9月17日の試合で王貞治を三振に切って獲り新記録と思い込んでいたが、実はまだ353個のタイ記録だった。そこで王に次の打席が回るまで、細心の注意を払って三振を取らないように投げていたのだ。そして回ってきた7回に正真正銘の日本新記録となるシーズン354個目と三振を奪った。ちなみにこの試合は延長にもつれ込み、12回江夏が自らのサヨナラ安打を放ったのだった。
日本球界初の300勝スタルヒン&神様・仏様・稲尾様の42勝
1939年の勝利数は42勝であるが、戦後パ・リーグ記録部長の山内以九士らが戦前のスコアブックの見直しを行った際に、明らかにスタルヒンに勝利が付かないケースとなる2試合分について記録の変更を行い、40勝とされた。戦前は勝利投手の認定に曖昧な部分があり、記録員の主観で判断されていた側面があったためである。
しかし、スタルヒン没後の1961年、稲尾和久がシーズン最多勝利でこのスタルヒンの記録を破る42勝を記録したことから、戦前のスコアの修正について再び議論が起き、最終的には1962年3月30日にコミッショナー裁定が出され「あとから見ておかしなものであっても、当時の公式記録員の判断は尊重されるべき」という理由でもとの42勝に戻された。その結果、稲尾の記録はスタルヒンと並ぶタイ記録となった。