【金田正一さん追悼】NPBアンタッチャブル記録を集めてみた
プロ野球史上唯一の400勝投手・金田正一さんが5日、天に召された。多くの大記録を残したレジェンドに敬意を表し、絶対破られないであろう記録たちを振り返る。(敬称略)
公開日:2017.7.21
1950年6月28日の西日本戦で日本初の完全試合を達成。
函館から青森に移動する青函連絡船の中で徹夜マージャンに興じ、ほとんど睡眠をとらない状態で登板しての記録達成だった。しかし、この試合は新聞記者は4人いたがカメラマンがいなかったため、達成時の写真がないという華々しさが残らない結末となった
戦後最高にして唯一の0点台!70年・村山実の防御率0.98
超がつくほどの投高打低だった戦前戦中の記録がズラリと並ぶ歴代防御率記録。その10番目に突如出現する1970年の記録が村山実の0.98だ。血行障害に悩まされながら200勝を達成したこの年、兼任監督として指揮を執りながらの大記録。チームも2位でミスタータイガースとして文字通りチームをけん引した。
37年秋・史上最年少16歳0カ月で出場した初代ミスタードラゴンズ西沢道夫
旧制の高等小学校高等科在学中の36年に名古屋軍(現・中日)にテスト入団。日本で初めて背番号「0」をつけた選手でもある。42年5月24日の大洋戦では鉄腕・野口二郎と投げあい、世界最長となる延長28回を311球で完投した。
新記録の夢はあったが…04年、ドラフト史上最年少15歳で阪神入りした辻本賢人
甲子園のお膝元・兵庫県生まれで中学1年時に渡米し、日本の義務教育に相当する過程を終了した04年に阪神8巡目指名を受けて入団した。ドラフト制度史上最年少の指名であり、西沢の最年少出場更新の夢もふくらんだが結局1軍登板のないまま09年に戦力外となった。